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zoom RSS 映画評「おとなの恋の測り方」

<<   作成日時 : 2018/06/18 08:50   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2016年フランス映画 監督ローラン・ティラール
ネタバレあり

日本の純恋愛映画は若者(僕ら爺の感覚で言えば少年ですな)に特化され、大人のそれは不倫等些かややこしいものが多くなっている。アメリカでは多少作られるが、純度が高いものはフランス映画が相変わらず得意だ。このフランス映画は、メキシコ映画のリメイク(?)らしいが、オリジナルが公開待機中という大変珍しいケースである。

別れた元夫セドリック・カーンと半ばいがみ合いながら事務所を営んでいる女性弁護士ヴィルジニー・エフィラが、見知らぬ男から自宅の電話に電話が掛かって来る。本人曰く「携帯電話を拾ったので、モーションを掛ける為に電話した」と。かくして彼女がその男ジャン・デュジャルダンと会ってみると、彼が身長136cmの小男だったのでビックリ。弁舌さやわかにして内面も非常に好もしいので、徐々に傾いていくが、ネックはやはり彼が余りに小さいこと。さあ彼女はどう彼と交流することにするのか。

彼の小男ぶりを笑いのネタに進めるロマンスであるが、些か困るのは、一種の特異である低身長を笑いのネタにして良いのかという引っ掛かりが生れることである。しかし、作者たちが観客の複雑の心理を想定して作っていることは間違いなく、それ自体が主題を構成してもいる。観客のそうした思いはヒロインの悩める心境に通ずるのである。

彼女が自分は構わないが他人の強い関心が自分の心を落ち着かなくさせるのだと思うのは建前で、彼女がこちらをじろじろ見る人に注意する時実は交際する男が外見的に自分の理想ではない男であることを苦にする自分に怒っていたにちがいない。見た目を気にする母親と彼女自身、大差がなかったのだ。

見た目など苦にする必要がないことは僕らも同意するが、そこに重きが置かれている為、恋愛映画として捉えると説教が勝ちすぎるお話になっているのは否めない。洒落ているようで野暮ったく、やはり古今東西の洒落た映画を色々と観てきた僕には大いに不満である。

VFXの時代であるから、デュジャルダンを小さく見せるのはそれほど難しくなかったであろう。合成は巧くできていると思う一方、縮小した彼をそのまま画面に貼り付けたような印象であることに手抜き感が禁じ得ない。ロング(引き)の場面では一般人と変わらず七頭身近くあるように見える。身長の高低で一番差が出るのは足の長さである。頭の大きさは身長に関係なくほぼ同じであり、胴体も足の長さほど身長差が反映されない、というのが何十年も生きてきた僕の感覚であり、実際そうであろう。

江戸幕府五代将軍徳川綱吉は130cmにも満たなかったという。日本人の平均身長が160cmにも満たなかった時代とは言え、やはりかなり小さい。

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