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zoom RSS 映画評「たかが世界の終わり」

<<   作成日時 : 2018/05/21 09:30   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2016年カナダ=フランス合作映画 監督グザヴィエ・ドラン
ネタバレあり

グザヴィエ・ドランは、カナダの若手監督でなかなかのハンサムだから自作に出演することもあるが、今回は脚本(脚色)・演出のみ。原作はフランスの劇作家ジャン=リュック・ラグルスの自伝的戯曲で、ドランの何年か前の作品「トム・アット・ザ・ファーム」にかなり似ている。ドランが設定のかなりのところを拝借したのだろうと思う。

名を成した34歳の劇作家ギャスパー・ウリエルが、自分が死病を患ったことを告げる為に12年ぶりに帰郷する。母ナタリー・バイや年が離れ兄の記憶のない妹レア・セドゥは歓迎するが、兄ヴァンセン・カッセルは事あるごとに逆らい、その妻マリオン・コティヤールは間に入って上手く行動できない。かくして言わんとしたを言わないうちに兄に無理やり連れ去られるように家を去ることになってしまう。

兄のなかなか理解しにくい憤りは、弟がゲイであることや突然家を出たことにその基礎があるのだろうが、果たしてそれだけだろうか? 僕は次のようにも考えられると思うのである。
 彼は弟の来た目的に勘づいたから怒ったのではないか。つまり、12年ぶりに帰ってきたのに「死んでしまうのか」という怒り、母や妹を悲しめるであろうことへの怒り。だから、彼は早めに彼を帰してしまおうとしているのではないか。能天気に見える母親も実は賢そうな女性だから、案外気づいたが、長男と違って表現しないだけかもしれない。
 勿論、これらは僕の勝手な解釈で、全く違うかもしれないが、この解釈の方が映画としての奥行も幅も出て面白いと思う。

が、実際には口論や類似の状態が典型的なフランス映画スタイルで全編続くので、面倒臭くなってしまうというのが正直なところ。僕の勝手な解釈が自然に湧き上がるように作られていたならもう少し☆を多くできただろう。序盤とエンドロールの曲は軽さと重さが共存しているような感じでなかなか快調。

「太陽がいっぱい」の原作「リプリー」を読む。主人公トムが本当にゲイなのか確認するためだ。ディッキーことリチャード(映画ではフィリップ)はストレートだが、主人公トムは所謂クローゼットのゲイであった。本人が認めないのは時代のせいである。但し、映画のトムがクローゼットのゲイであったと決めつける必要もない。

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「たかが世界の終わり」
グザヴィエ・ドラン監督作品。個性的な作品を発表し続けている。あまりにもその個性が際立っているため、近頃ではちょっとした作品も「フツー」に感じてしまう程だ。12年ぶりに帰った故郷。目的は、ただ、自分の人生が終わることを告げる為。家族に。長いこと会わないでいた家族に。都会で成功している人気作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)の12年ぶりの帰郷に、家族は沸き立つ気持ちを抑えきれずに必要以上にそわそわしていた。車で迎えに行くと言っていたのにタクシーなんかで帰って来ちゃって!家族は母(ナタリー・バイ)と兄ア... ...続きを見る
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2018/05/21 19:13

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