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zoom RSS 映画評「アメリカン・バーニング」

<<   作成日時 : 2018/03/27 12:27   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
2016年アメリカ映画 監督ユアン・マクレガー
ネタバレあり

映画ファンの最大の関心は、ユアン・マクレガーの初メガフォン作であるということであろう。日本では俳優が映画を作ることが殆どなくなってしまったが、欧米では益々盛んで、しかも純文学的な大衆受けしないようなテーマを取り上げることが多い。この作品もその数に入れたい内容で、手応えもある。全く珍しいとは言えないにしてもありふれた大衆向け素材ではなく、為に日本では大々的な公開態勢にはならなかった模様。

終戦後、ユダヤ人だが北欧人と区別のつかないハンサム青年マクレガーが、ミス・アメリカになった美人ジェニファー・コネリーと結婚、父親が起こした革製手袋工場を引き継いで順風満帆な人生を送り始める。が、1960年代後半吃音症の娘がハイティーンになって(ダコタ・ファニング)過激派的な言動が目立つようになり、やがて郵便局爆破事件の勃発とともに失踪したことから、娘を探し続ける夫とそれから逃避しようとする妻との間に亀裂が入り、一家の幸福が崩れていく。

半世紀近く前に観た「さよならコロンバス」(1969年)で名前を憶えた原作者フィリップ・ロスは、映画化もしくは映像化された作品はそれほど多くないが、現在的なテーマを扱って優れた小説を書いたことが伺われる。現在まで全く未読ながら死ぬまでに読まねばならない重要な作家と思う。

この作品も着想がユニークである。彼の作品らしくユダヤ人が主人公で、民族・人種の対立・対決の図式も僅かに絡んでいるが、この部分は要素に留まる。つまり、ある人が仰る社会派映画ではない。
 本作は、1960年代ベトナム戦争、公民権運動からブラック・パワーへという一大ムーヴメントを経て価値観を変え元に戻れないアメリカの姿を、一家族の苦闘の物語を通して見せているのである。

ユダヤ人であるロスはアメリカ社会を風刺するのを好む作家と聞くから、マクレガー扮する主人公の言動を以って、保守的な価値観に見せた作品というご意見には首肯しかねる。どちらかと言えば反語的に考えるべきであろう。しかし、映画版にはその点些か舌足らずの面があることも否めない。

娘の吃音が何かを象徴しているのは解るが、それが何であるか解りにくい。登場人物のセラピストが言うように、本来の自分を見せない象徴的行為なのかもしれない。娘はジャイナ教徒に改宗し生き物を殺さないようマスクをして以来吃音が治る。これにより、少なくとも吃音=マスクであることは確かとなる。

原題と違う邦題は社会派の秀作「ミシシッピー・バーニング」(1988年)を意識したものか。本作は社会派ではないのだけどね。

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