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zoom RSS 映画評「ハードコア」

<<   作成日時 : 2018/03/19 08:18   >>

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☆☆(4点/10点満点中)
2015年ロシア=アメリカ映画 監督イリヤ・ナイシュラー
ネタバレあり

POV映画は今や珍しくないが、一人称映画と解されるのは殆どない。定点カメラものは厳密にはPOVではないし、その他の場合(ファウンド・フッテージもの等)にも通常は主人公ではない人間が操作するカメラを通しているという形式が多いからである。
 古く「湖中の女」(1945年)という一人称映画があるが、一人称映画がいかに非映画的であるか示すことに終わる野心満々の凡作であった。
 本作はお話がアクション・オンリーにつきもっと単純なので、一人称映画の欠点を回避できたところがあると同時に、一人称にする意味が映画的にないと思われる別の欠点が併存する。

舞台は未来のロシアのようで、重傷を負った主人公ヘンリーが、サイボーグ体になって蘇生する。施術したのは妻エステル(ヘイリー・ベネット)らしいが、発声機能を備える前に、超能力者エイカン(ダニーラ・コズロフスキー)とその一味に襲われ、懸命に逃げ出す。しかし、妻がエイカンに捕えられたので、奪還する為に、ジミー(シャールトー・コプリー)という謎の男の援助を受け、逆襲する。

主人公のアクションを延々と捉える様子は、僕は一人称映画としか捉えられなかったが、ゲームをする人々はFPSゲームなるもののようだと言う。映画ファンには珍しくても、ゲーマーには珍しくも何ともないという結果でもあるようだ。

それはともかく、一人称映画は画面をやたらと切れないのでどうしても長回しになるが、本作はアクションの連続なので主人公が早く顔を動かすため映像の変化が激しくカットを切るのに似た効果が出ていると同時に、それにより画面が見づらくなる弊害が出る。また、ジャンプ・カット的なところが多く、半ば一人称映画の目的を放棄していると解釈したくなるところが多い。少なくとも新人監督イリヤ・ナイシュラーは「湖中の女」のロバート・モンゴメリーと違って映画文法に挑戦しようとこの映画を作ったと思われない次第で、純粋に映画として高く評価しかねる。

お話も全くつまらないが、自身のクローンを多数作っているジミーとそのクローンによるミュージカル的場面はお楽しみ。また、最後に割れた鏡か何かに主人公の顔が映るショットにもニヤッとできる。一人称映画はこういうのがお楽しみなのである。70年前にはカメラ自体が写り込むため鏡の撮影はインチキするしかなかったのだが、現在はコンピューターで写り込むカメラを消すこともでき、何の困難もない。為に、かかるコンピューターによる細工も映画ファンとしては面白くないのである。

「ラジオ・スターの悲劇」でバグルスは“ビデオがラジオ・スターを殺した”と歌ったが、僕はコンピューターが映画を殺したと言いたい。

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