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zoom RSS 映画評「敦煌」

<<   作成日時 : 2018/01/14 09:34   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
1988年日本映画 監督・佐藤純彌
ネタバレあり

戦後の大作家・井上靖については、中学時代に「あすなろ物語」等の自伝小説で知った後、歴史小説を堪能した。「敦煌」も「天平の甍」も面白く、僕が面白いと思ったせいか(そんなわけはない)、両方とも後年映画化された。どちらの作品もなかなか上出来と思ったものである。今回、およそ30年ぶりに観る。敦煌だけに風化していないか、ちと怖いですな(意味不明)。

11世紀前半宋の時代、科挙試験に失敗した若者・趙行徳(佐藤浩市)は、台頭著しいチベット系の国・西夏から拐かされてきた女を助けたことから西夏に興味を持ち、西へ向かう途中、西夏の漢人部隊を率いる朱王礼(西田敏行)に徴用される。
 行徳は、西夏がウイグルに進軍した時に王女ツルビア(中川安奈)を助け恋に落ちるが、才覚を認められて首都で西夏文字を本格的に学ぶことになる。彼女との約束である1年以内の帰還を守れず、二年後に戻った時、彼はツルビアが皇太子・李元昊(渡瀬恒彦)と政略結婚することになっているのを知る。彼女は結局投身自殺をする。
 やがて彼は、まだ西夏の支配下になっていない敦煌府で、太守・曹延恵(田村高廣)の膨大な資料整理に協力するが、ツルビアの自殺により反皇太子になった朱が訪れ、曹らにクーデターを申し込む。西夏軍に火をつけられた混乱の最中、行徳たちは膨大な資料を移すことを敢行、石窟に収めて壁の下に残すのである。

井上靖は、1900年に莫高窟で発見された無数の文書が何故ここに隠されたか思いを馳せて、解っている史実を基にかかるロマン溢れる物語を案出したのであろうが、中国の協力を得てなかなかダイナミックに映像化されている。「HERO」(2002年)以降のCGによる華美な合戦を見た目には貧弱に映る一方で、実際の矢の数などこの程度ではなかったろうかと、却ってリアリティーを感じないでもない。

日本人が日本語で中国のお話を処理していることに文句を言う(Allcinemaの投稿)のは、僕には、潔癖症すぎる映画観に感じられる。リアリズム病である。それを言ったらその国の物語は当国人しか演じられなくなり、映画の可能性を狭めてしまう。東洋人と西洋人の垣根を超えるのは、さすがに映画では厳しいが、東洋人同士、西洋人同士くらいは認められていいだろう。そこまで厳しく言うと、「源氏物語」の映画化にはタイムマシンで平安時代の人を連れてこなければいけなくなる。現在の日本人で当時の発音ができる人はまずいないのだから。東北や山陰に当時の発音の名残りがあるらしいが。
 とにかく、現在の日本人は、劇映画にリアリティを求めすぎている。それ以上に、本当らしさ(リアリティ)という観念が本物そのものとは全く別のものであることを解っていない人が多すぎる。乱暴に言えば、想像力がないのですな。

原作に出てこないツルビアに絡むお話は些か作り物めいているし、全体として大味の気(け)はあるが、かかるスペクタクルに余り細かい心理を求めても意味がない。この映画を観ようとする大衆の大半はそんなものは求めていない。1000年前の中国らしき気分を感じたいだけなのである。仮に歴史学者が考証的に全然違うと言ったところで意味がない。一般の人は、恐らく日本人ほど昔の中国に関する知識のない中国大衆を含めて、ごく大雑把な中世中国観しか持っていないのだから。

高校時代に契丹文字と一緒に西夏文字を興味深く観た。その時に感じたロマンを蘇らせてくれるだけで、僕はこの作品を有難く思う次第である。

あくまで印象にすぎないが、今の英語とドイツ語との間より、現在の日本語と平安時代の日本語との間のほうに大きな差があるのではないか、とさえ思う。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
今年の大河ドラマ『西郷どん』も鹿児島弁をリアルに再現したため、喋っている言葉の意味がわからんとの苦情が多数寄せられているそうであります。
主演の鈴木亮平くんもアクセントを間違えないように覚えるのに必死で意味をよくわからずセリフを言っていることが多々あるそうで、困惑していると言っておりました。
ある程度鹿児島弁の混じった現代語でもいいんじゃあなかろうかと思いますですね。

それらしければ・・・・と思いますですね。

これはあんまりだ!と言いたくなるのも困りますけどね。

ねこのひげ
2018/01/14 10:16
ねこのひげさん、こんにちは。

>ある程度鹿児島弁の混じった現代語
僕が映画評で「リアリティと本物そのものとは違う」と指摘するのは、つまり、そういうことなんです。
 その昔、新聞に投稿された「方言が実際と違う」という批判に対して、文句を言われたNHKから「方言を正確にすると、理解できないこともあるので、もどきにしています」という旨の回答があったのを憶えています。
 それを考えると、NHKもリアリズム至上主義に毒されたか、とややがっかりの思いあり。

先日観た「不屈の男 アンブロークン」は、観てもいないのに産経新聞・読売新聞とネトウヨが反日と的外れの公開阻止運動をして僕を怒らせましたが、それとは別に誤訳ではないかという指摘があって、これにも僕は完全には納得できていないのです。
 翻訳者は近年評判の悪い戸田奈津子。指摘者は、「捕虜」ではなく「俘虜」だろうというのです。ところが、現在の日本人がどの程度「俘虜」という言葉にピンと来るだろうかという問題に頭が行っていない。方言と同様に「正確であるからと言って何でも良いというものではない」のですよね。そういう配慮もあってわざと誤訳している可能性もあるのに、「誤訳、誤訳」と叫ぶのは馬鹿だと思います。
オカピー
2018/01/14 14:52
 俘虜という言葉から、パブロフの犬みたいに喜んで大岡 昇平をすぐ連想してしまうぼくなどは、”指摘者”に同調してしまいそうなんですが(笑) ・・「浮浪児」などと同様、いちいち改訂された広辞苑でも引かなければ現代人には意味不明の日本語は、枚挙に暇がないでしょう・・。
大衆映画において、そんな正確すぎる訳はいたずらに作品理解を遠ざけますし・・。

まあ、戸田奈津子さんは、大昔に観た「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」の中で、インディが悪漢に差し出すヌルハチの秘宝をヌハチの・・とやってしまってから、ユニークな翻訳者と位置付けています(笑)
おそらく、「マンハッタン」のt音を発音しないように、r音をぼかす英語圏の役者の言葉をそのまま書き起こしたと思われます。
彼女は忙しすぎて、世界史を勉強する暇などなかったのでしょうね・・。
浅野佑都
2018/01/15 00:46
>現在の日本人で当時の発音ができる人はまずいない

 まず、鼻濁音ができませんねぇ・・。、
以前、大河ドラマの「草燃える」の中で、北条の姫の台詞で池上季実子だったか「じゃがのぉ・・」とか「それはそうじゃが」という台詞があるんですが、雅言葉ですから「が」は、フランス語のように鼻へ抜けるのでハッキリ発音しないのですが、ドラマでは、野菜のジャガイモと同じ発音で「じゃがじゃが・・」と、姫なのに全く情緒もなにもない(笑)・・。

 最近の平成アイドル主演の時代劇みたいな、あまりにもおチャらけた現代的台詞は困りますが、黒澤明の「赤ひげ」など、江戸時代の与太者にさえ、現代語(それも比較的上品な)を喋らせていて、それでいてリアリティの欠如なんて批判は全く聞きませんしね・・。
浅野佑都
2018/01/15 01:16
浅野佑都さん、こんにちは。

>大岡 昇平をすぐ連想してしまうぼく
高校の時、わが校の図書館が改装中で一年間利用できなかったために、姉に借りてきてもらった「俘虜記」を読んでいる僕も同じですが、しかし、字幕を読む人の半分以上は知らないのではないでしょうか。だとしたら「捕虜」は必ずしも間違いではないですよね。
 それより、ポリティカル・コレクトネスで、「武器よさらば」でジェニファー・ジョーンズが公開時にはなかった“看護師”になっていたり、西部劇でインディアンが“先住民”となっているほうが気になりますね。後者は映画の中で実際に“インディアン”と言っているのだからなおさらです。こういうのを指摘しろってんだ(笑)

>「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」
何となく記憶があります。少なくとも日本の世界史では丸八ならぬ“ヌルハチ”と教わりますから、これは言い訳できないな。

続く。
オカピー
2018/01/15 18:39
>鼻濁音
わが姉などは普段から使っている珍しい人です^^
 平安時代は今よりずっと母音の数も多かったわけで、それが既に鎌倉時代の藤原定家が正確に表記できていないのが面白く、注釈する学者がその都度「これは“を”ではなく、“お”が正しい」とかやっているのが可笑しい。定家本人が昔(平安時代)の言葉は難しい、と言っているのがさらに興味深かったですね。

>おチャらけた現代的台詞
そういうことですよ。
 現代語で十分良いわけですが、時代劇らしい古風さは欲しい。“俘虜”レベルはともかく、侍が“有難う”などと言っては困りますよね。
 その逆に、クイズ番組でチーム戦で誤答をしたアイドルが“かたじけない”と言ったのには、のけぞりました。「るろうに剣心」の読み過ぎで、謝る時に使う言葉と間違えて憶えたのでしょう。例外的に“面目ない”という意味で使わなくはないにしても、今それを言うなら“面目ない”を使うべきでしょう。
オカピー
2018/01/15 18:40

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