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zoom RSS 映画評「不屈の男 アンブロークン」

<<   作成日時 : 2018/01/11 10:28   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
2014年アメリカ映画 監督アンジェリーナ・ジョリー
ネタバレあり

ベルリン・オリンピックの陸上5000mに出場したイタリア系青年ルイ・ザンペリーニ(ジャック・オコンネル)が、太平洋戦争に出征して太平洋上に仲間と共に不時着、三人でひと月以上漂流し一人を失った後日本軍に発見されて東京の収容所に送られ、さらに終戦直前に山岳地帯の収容所で石炭運びの苦役に従事させられるが、間もなく終戦になり帰国する、という実話をアンジェリーナ・ジョリーが映画化した作品である。

この作品に関しては2015年早々に全体主義右派が公開に反対していると聞いて「何と馬鹿なことを」と思った。時間がかかったとは言え、大手が手を引いた後、翌年の2016年2月に、独立系のビターズ・エンドが公開を英断した。先進国が個人主義になっている(今世界的に逆向きの傾向があるとは言え)時代に、こういう全体主義的な批判をする連中こそ非国民(日本人について反日という言葉を使ったら誤用だ)と言うのだ。全く子供じみている。但し、中国で公開させてはいけないという心配だけは理解できる。全体主義国家の中国なら作者の意図に反して本作を利用しかねないからである。

この件についての問題は色々ある。
 一つ、見てもいない作品を批判していること。一つ、事実と違うことを以って反日としていること。これはもっと普遍的な誤解でもあって、映画は展開の為に記号として物事を扱うことが多い。方言が実際と違うなんてのは多くの場合作者が記号として使っているのだから全くどうでも良い。それと同様に、本作の描かれていることが実際と違っていても全く問題ではない。反日映画というのはそういうプロパガンダの映画を言うのであって、最後に主人公が長野オリンピックで聖火ランナーを務め、日本人が旗を振っている実際の映像を使う本作のどこに反日プロパガンダがあるというのだ。僕はこの映像に涙を禁じえなかった。

例えば、本作に出てくる虐待について。
 これは日本の収容所がそういうところであったと言う為に描かれているわけではない。たまたま日本であったというにすぎない。渡辺という偏執的な軍人にしても戦争における狂気の象徴である。実在した渡辺という人物がどういう人物であったかは、実話をベースにしているとは言え、彼の子孫以外にはまたどうでも良いことである。戦争中の苦難を耐え忍んだ一男性の物語を描くための記号に過ぎない。これを日本への非難と思うのは被害妄想も甚だしい。
 劇中の演劇の衣装がぼろすぎるという指摘。誠にくだらない。その投稿者は、もっと良いものを見たことがあるというが、これもまた記号であるし、彼らが自前で用意したという設定であろう。そうであれば日本軍の扱いとは全く関係ない。ドイツの捕虜収容所を描いた「第十七捕虜収容所」(1953年)でも似たようなものである。つまり、捕虜収容所もののルーティン的表現にすぎない(アメリカの映画評論家は多く本作を「型通り」として高く評価しなかった。そういうことなのである。僕もその点に異論はない。しかし、見応えはある)。

日本の捕虜収容所についてのドキュメンタリーではないのだから、本作のテーマにおいて日本の収容所の良いところを描くなど、主題をぼかしてしまうことにしか寄与しないわけで、全くナンセンスである。そんな馬鹿な脚本家は世界に一人もいまい。物事を理解することにおける程度の低さに呆れるばかりである。
 そもそも投稿者が観た収容所は、日本当局の撮影した資料であろう。第三者の撮ったものでないと客観性があるとは言えない。

一つ、これは映画論だが、仮に反日的であっても、映画として優れているかどうか判断することはまた別問題である。そういう判断は全体主義者には到底できないが、個人主義者ならできる。
 全体主義右派の問題は、自分の気に入らないことを裏打ちする為に、本質とは関係ない個人攻撃をするということもある。本作の場合は、監督をしたアンジョリーナが麻薬を使ったことがある、或いは刺青をしている、といった、アメリカ映画を見ていたら取るに足らないことを取り上げている。いかにアメリカ文化を知らないか解る。アメリカの青春映画を見れば、かなり真面目な高校生でも麻薬に手を出しているし、アメリカにおける刺青は日本で髪を染める程度の感覚だろう。ピアスの店が刺青をやっていることが多いのである。大リーグ中継を見ていると、刺青をしていない選手は東洋人特に日本人くらいではないか。

捏造と批判している人が本作の悪口を言う時に捏造をする。「捕虜が日本の町が焼けるのを見て万歳をしている」と言うのが典型で、そんな場面はない。飛んでくるB−29に手を振っているだけである。仮にそうであっても、戦争中に敵が被害に遭えば戦っている人間であれば「万歳」をするのが寧ろリアリティというものだろう。野球でホームランを打った時にガッツポーズをするのと同じである(大リーグでは打たれた投手の傷口に塩を塗る行為として紳士協定で禁止されている)。戦後作られた少なからぬ日本映画がアメリカ軍がやられて喜ぶ場面を描いているのを、彼はどう理解する? 相手が兵隊と市民では違う? 戦争中はみな狂気に陥っているのだから、そんな理屈は通らない。
 (彼の知っている根拠薄弱な証拠に則って)日本に不都合なところにはリアリティを求め、一方でアメリカに不都合なところはリアリティを理由にこれを戦勝国の作った映画と批判する。ダブルスタンダードも甚だしい。「ネトウヨは、自分の信じたいことを真実、信じたくないことを捏造と称する」という文言を読んだが、まさにその通りですな。
 丸焼けになった市街を移動する捕虜の目から捉える場面がある。彼らの表情からは何も解らないが、作者側は、反日どころか、当時の日本に「戦争の犠牲者である」と同情さえ示している。彼らにはこの場面がそういう風には見えないのだろう。

本作のテーマは、文字通り何事にも屈しなかった男の人生であるが、その背景に揺曳するのは戦争の愚である。そこにはアメリカも日本もない。個人主義者はそう普遍的に解釈するのである。僕はこの映画に(国というレベルでの)全体主義の影を毫も見ない。そう見えたら、その人が全体主義者ということだ。

唯一気になるとしたら、「レイルウェイ 運命の旅路」同様に、キリスト教徒による赦しという態度であろうか。キリスト教徒ではない僕らにしてみれば、上から目線を感じないでもない。

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