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zoom RSS 映画評「ミモザの島に消えた母」

<<   作成日時 : 2017/11/09 09:49   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2015年フランス映画 監督フランソワ・ファヴラ
ネタバレあり

秀作「サラの鍵」の原作者タチアナ・ド・ロネの小説を映画化したドラマ。

30年前、ミモザの島と言われるノワールムティエ島で若い母親が少し不審な死を遂げる。現在、40歳になった息子ロラン・ラフィットは、その死を引きずる余り妻とも離婚し、精神分析医からの勧めもあって、妹メラニー・ロランを伴って島に帰り、父親ウラディミール・ヨルダノフや祖母ビュル・オジエや近所の住民から真相を聞こうとするがうまく行かない。
 かつて母の死体が置かれた死体安置所の女性オドレー・ナナと共感しあい一緒に行動するようになった後、元使用人が持っていた母の腕時計に残された人名を探るうち、妹が30年前の記憶を告白し、そのことを発端に死の謎が解明する。

8月に観たドイツ映画「生きうつしのプリマ」にお話の構図が似ている。かの作品は、娘が亡母に似たプリマドンナを調べていくうちに母親の秘められた恋が明らかになっていく、というお話。こちらは、息子が母親の死を調べていくうちにその真相と共に秘められた恋が明らかになる。
 真の恋を探る母親そのものがテーマとして浮かび上がる前者に対し、こちらはあくまで再生を目指して悪戦苦闘する息子や残った人々がテーマと思われるが、同じ年に作られた作品における物語の類似性は相当興味深い。片や、死の後に秘められた恋の存在が、片や死によって秘められた恋の存在が判るのである。本作の場合は本人が秘めたのではなく、周囲の人間たちが封鎖してしまったわけだが。

ミステリー的なのは、男性と思われた人名が女性だったという件(くだり)。同じ綴りがフランスでは男性、英国では女性(男性の場合もある)というのは本格ミステリーでも使えそうなアイデアだ。

世相を反映するドラマとしては、娘の同性愛の発覚が母(娘にとっては祖母)の死の真相に導き、隔世遺伝のように機能して共鳴し合うところが面白い。ところが全体としてはそう面白くないのである。

そもそも、島に向かう兄妹がちょっとした交通事故を起こしてから回想形式的にリスタートさせる構成が気に入らない。すぐに時系列的に追いついてしまうし、僕の見る限り効果が全く感じられない為、5分ほど上映時間が長くなっただけという印象。そうでなくてもフランス式に鈍重なところが多い作劇に輪をかけた形だ。回想形式という手段がストレートに話を進めるのを避ける目的になってしまっていはしまいか。そうではなく、死の真相と関係する島の環境、すなわち潮の満ち引きにより道ができたり消えたりする島の環境描写からスタートしたほうがぐっと映画的になったような気がする。

回想形式に頼る映画が多いのは、考え物じゃね。僕はブログを立ち上げてからずっと批判しているが。

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