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zoom RSS 映画評「お父さんと伊藤さん」

<<   作成日時 : 2017/11/30 10:31   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2016年日本映画 監督タナダユキ
ネタバレあり

初めて観た「百万円と苦虫女」(2008年)が余りに気に入ったので、タナダユキの作品には逆に厳しくなってしまう。中澤日菜子の同名小説を映画化した本作も、なかなか良い感触を覚えながら、星が低めになっているかもしれない。

バイトする34歳上野樹里がコンビニに勤めていた時に20歳年上の同僚リリー・フランキーと同棲を始めて間もなく、兄・長谷川朝晴の家の事情により追い出される形で、老父・藤竜也が舞い込んでくる。40年間教員を務めた頑固な老人である。本音では出て行って貰いたいが、勿論それは言えない。リリーさん、他人故の気安さか、父娘の間に上手く入って機能していく。
 万引きの旧悪がばれたのをきっかけに、老父は故郷に戻ってしまうが、それを通じない携帯電話から掴んだのかリリーさん。リリーさん、何者? 兄を含めた3人は父親を連れ戻しに向かうが、父は帰らないと言う。が、丁度やって来た爆弾低気圧による稲妻により家が焼失、結局三人での暮らしに戻るが、老父は有料老人ホームに行くと宣言する。
 樹里ちゃんは止めることはしないが、一筋の涙が頬を伝う。或いは降り始めた雨だったのか。リリーさんは「俺は逃げないよ」と言い、それを聞いて彼女は父親を追う。

省略や婉曲話法を色々と生かしているのがミーハー映画とは違うところで、それが一番効果的に使われているのが幕切れ。彼女が父親に追いつく前にジ・エンドというのは映画的省略手法として常識範囲だが、その前の「俺は逃げないよ」という台詞や樹里ちゃんの涙は一種の婉曲話法が効いてなかなか良い。こういうのが積み重なって作品全体の言いたいところが的確にかつ効果的に表現されるのである。

本作の場合、ヒロインが最後に直面するジレンマが、主題というより観客に感じてもらいたいところだろう。つまり、家族ならではの本音と建前ではなく、本音と本音のバッティングである。リリーさんが父親にとって(或いは世間的に)良い人でいられるのは、所詮は最終的に責任を取らなくても良い他人だからである。
 しかし、本音と本音というのは、彼女(或いは兄)の本音と本音ではなく、彼女内部の二つの本音である。一つは父親を引き取るのは嫌であるという利害的な思い。一つは、そうであっても孤独な親を放っておくのも忍びないという人間的な感情である。最初は前者が圧倒するが、父親の寂しげな姿を色々と見るうちに後者が浮かび上がって来、拮抗するするわけである。

勿論、世の中にはヒューマンでない人も多い。ヒューマンであっても事情が許さない人もいる。だからこそ、彼女の最後の行動が胸を打つのだ。安倍政権が喜びそうな幕切れだが、かと言って僕は必ずしもそれを悪くは思わない。「世の中の人はこれに倣え」と言っているわけではないだろうから。家族観を強制していると思わなければ、親子関係の機微を見かけ以上に繊細に描いた佳作と感じられるはずだ。

一介の教師上りが有料老人ホームに住めるかという疑問を読んだが、40年勤めた公立校の教師の年金は共済が月20万円で、それに月10万円以上の報償金が貰えるらしいので、賄付きの有料老人ホーム(通常18〜20万円)に入っても10万円以上のお釣りがくる。

家族は大事であると思うが、自民党のように家族観を強制するのは嫌いだ。日本は、夫婦の同姓を強制する最後の国であるらしい。夫婦別姓に関し以前は自民党と同じ考えだったものの、外国では問題なくできているのだからと、何年か前に考えを変えた。小説を読んだり映画を観たりするときに解り難いということはあるが。

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