プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画評「ヘッドライト」

<<   作成日時 : 2017/11/29 10:20   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1956年フランス映画 監督アンリ・ヴェルヌイユ
ネタバレあり

今から40年以上前中学生の時に観て、堕胎の意味も解らないまま、いたく感動した。

昔風に言えば立て場、今風に言えばサーヴィスエリアの飲食店で、トラック運転手ジャン・ギャバンが、ウェイトレスのフランソワーズ・アルヌールと知り合う。地味な妻(イヴェット・エティエヴァン)と三人の子供達を抱えるパリでの生活に疲弊した彼は、都会を避ける彼女にほだされて関係ができ、これが習慣となって週に二度ほど会うことを繰り返す。
 やがて彼女は妊娠するが、ギャバンが失業したのを知り、こっそり堕胎の女のところへ出かける。それは、彼が彼女と生活する為に家庭を捨てボルドーに出かける予定の前日である。翌日元相棒ピエール・モンディが具合の悪そうな彼女を連れてくる。ギャバンはボルドーにトラックを向けるが、深夜になって彼女は重態に陥り、飲食店の親父ポール・フランクールに呼んでもらった救急車に乗るも空しく息絶える。

当時より現在のほうが保守的なようで、不倫を糾弾する人が多くなった。「ヒロインが死ぬのは不倫の罰で少しも可哀想ではないよ」てな声も聞こえてきそうだが、人間は弱い生き物だから長い生活のうちには藁をも掴む心境になることがある。二人にとっては互いがそういう存在であったということである。人の気持ちも洞察できず、反道徳的などとのたまう朴念仁(ぼくねんじん)の心はいかに乾ききっていることか。大きなお世話だが、誠に可哀想なこととご同情申し上げる。

ギャバンの疲弊は解りやすい。フランソワーズは家庭に恵まれず少女のうちから一人で生きて来たらしく、ギャバンが言わば父親代わりでもあっただろう。そんな彼らを捉えた場面場面は常にうらぶれた生活感を伴い、誠に胸に迫る。ジョゼフ・コズマの手になる有名な哀愁溢れる主題曲と共に、環境描写にロー・ポジションのカメラを多用してリリカルなムードを巧みに醸成したルイ・パージュのカメラの殊勲と言いたくなる次第だが、ギャバンもフランソワーズも実感を伴う非常な好演であった。
 他に良い作品がないわけではないものの、本作を以ってアンリ・ヴェルヌイユは僕にとって好きな監督に数えたくなるのである。

原題は「重要でない人々」。つまり有象無象による、誰にも注目されることのないような一挿話であると宣言しているわけで、見事にそれにふさわしい内容になっている。ああ、悲しきかな庶民!

1963年に芥川賞を受賞した後藤紀一「少年の橋」に“アルヌール”の名前が出てくる。多分主人公の少年が観たのはこの「ヘッドライト」だろう。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
なんともはや物悲しい映画でしたね〜
こういうやり切れなさ満載ストーリーの中で
人生のグレーゾーンを映画は教えてくれるのよね。
白黒はっきりつけられればそれに越したことは
ないけれど取り返しのつかないことだって
生きてりゃ、一つや二つあるもの〜
致し方ない脆弱さでもあるけれど、このような
巧い作り手にかかると映画的滋味に醸成されたり・・(^^)
vivajiji
2017/11/29 13:27
vivajijiさん、こんにちは。

滋味・・・それに尽きますね。
トラックをロー・ポジションから撮る第1シーンから痺れます。

>グレーゾーン
IT時代になって、そもそも曖昧さが売り物だった日本人でさえ、白黒をはっきりしたくなる人が増えたようで、「不倫をする人は悪だ」といった意見も目立ちますが、そういう意見を放つ人は自分をそんなに立派な人間と考えているのかと首を傾げます。仮に立派であるとしても、もっと中間的な意見が持てないのかと寂しくなる今日この頃。

>脆弱
人間はそういうもの。それを理解していれば、本作には心を打たれますね。
オカピー
2017/11/29 21:55

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
映画評「ヘッドライト」 プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる