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zoom RSS 映画評「シークレット・オブ・モンスター」

<<   作成日時 : 2017/11/27 10:45   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2015年イギリス=フランス=ハンガリー合作映画 監督ブラディー・コーベット
ネタバレあり

なかなか厄介な作品である。独り合点と解釈せざるを得ないところが多い上に、観客に解釈を委ねているところも少なくない。我々観客にしてみれば監督から「取り付く島もない」扱いを受けている感じだが、こちらからは冷淡な扱いをしたくなくさせるものがある。

1918年、アメリカの国務次官補リーアム・カニンガムが、妻ベレニス・ベジョと十歳くらいの息子トム・スウィートと一緒に、第一次大戦の戦後処理をする為にヴェルサイユに近い町の屋敷に越してくる。
 トム君は芝居の練習をしていた教会の前に入る人々に向けて石を投げつける。母親は教会の前で詫びさせるが、長髪の為に女の子と間違えられるとこれが面白くない。かと言って髪を切ることも面白くない。彼にはこうしたねじれた感情がある。フランス語の勉強の為に若い家庭教師ステイシー・マーティンが雇われるが、彼女から乳房に触るのを断られ、またまた面白くない。
 そんな彼を初老の召使ヨランダ・モローが甘やかすが、母親の不興を買って首になり、「一家を滅ぼしてやる」と言って去る。新しい召使の編成でヴェルサイユ条約締結を記念してパーティーを開くが、ロウソクがカーテンを少し焼き、少年は不愉快な指示を出した母親を石で殴る。
 そして、数十年後少年は某国でヒトラーを思わせる独裁者になっている。

つまり、少年時代のエピソード群は、彼が独裁者になる性格を育んだ過程を描いていると理解できるわけだが、作者は、独裁者を演じた俳優ロバート・パティンスンがベレニスと懇ろの記者も演じていることを以って、彼は二人の間にできた私生児であると示し、抽象的な解釈では、生まれと教育が混ざり合ってこのような怪人物が生まれるとする。彼の怪人物たる所以は全く描かれていず、ナチスやスターリン政権を思わせる全体の様子でそう匂わせるに過ぎない。
 しかも、独裁者が車に外に出るや否や、カメラが上に向かいぐるぐるし始める。こんなのを見ると独り合点が過ぎると思わざるを得ないが、これをヒントに、第3エピソードの最後に昏倒した少年の幻影もしくは夢であるという解釈も可能で、この幕切れに関しては観客に理解を委ねた感じが強い。

僕の映画観では感心できない手法であるが、少年時代のエピソードを幕切れから切り離して見ると、心理サスペンス劇としてなかなか上等と言いたくなるのである。ミヒャエル・ハネケの「ファニーゲームU.S.A.」に出演した俳優ブラディ・コーベットは初メガフォン作として相当頑張ったと思う。タッチはハネケに勉強したところがあるように感じる。

最近にわかに欧米映画にアンチ・キリスト教の作品が増えている。本作でも、教会の前にいる人々に石を投げつけ、信心深い母親に対し冷めた感情を持つ少年が「もう祈りを信じていない」と叫ぶ。本作の主題に関係することとは言え、これだけ続くと、欧米に一体何が起こっているのか大いに考えたくなる。

日本の俳優は最近余り監督に進出しませんなあ。逆に昔より増加している感のある西洋の俳優は陰湿な純文学をなかなか上手く撮る。各々しっかりした人生観を持っているということだろうか。

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