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zoom RSS 映画評「襲われた幌馬車」

<<   作成日時 : 2017/11/15 09:13   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
1956年アメリカ映画 監督デルマー・デーヴィス
ネタバレあり

新米映画ファン時代の中学生の時に、本作と「太陽に向って走れ」(1955年)二作を観て、すっかりリチャード・ウィドマークのファンになった。悪役でデビューした後、悪人の要素もある善人役が多くなった(?)頃の二作で、本作を観れば解るようにきびきびした動きと行動力に惹かれた。個性的な顔も味わい深く、ウイドマークが出ているだけで必ず観たものである。本作は、それ以降もう一回観ていると思うので、都合3回目の鑑賞。

ウィドマークは幼児の時からコマンチ族に育てられた白人コマンチ族で、妻子を殺した白人兄弟を殺した罪でその長兄の保安官に逮捕されたところで、幌馬車の一行と出くわす。幌馬車の人々はキリスト教精神を発揮して彼に親切にするが、彼は隙をついて保安官を斧で殺す。これにより幌馬車の人々の彼に対する感情は人道派と差別派とに二分される。
 その夜、隊長の娘たちや二人に関心のある若者たち、彼を慕うようになる少年とその姉フェリシア・ファーが泳ぎに出、明け方に帰って来ると幌馬車隊は全滅させられ、崖下にウイドマークが馬車の下敷きになっているのを発見する。ここで6名は人道派と差別派に益々はっきりと分断するが、とにかく彼等だけではインディアン(アパッチ)が横行する西部を生き残れないのは解り切っているので助けることにする。

ここからのサバイバルがメイン・テーマであるが、まず面白いと思ったのは、若者6人が勝手に泳ぎに行くことで、観客の多くが彼らがアパッチに襲われるのではないかと心配していると、何と残された人々の方が襲われるというアイデアである。ちょっとひねりが利いている。
 一時期のインディアンの扱いを反省してか、一方的にインディアンを悪役にせず、コマンチ化した白人、インディアンとのハーフ(スーザン・コーナー)を出し、しかもその異母姉(ステファニー・グリフィン)は差別的であるという複雑な様相を示す、全体としてかなりヒューマニスティックな作劇となっている。これもドラマとしてかなり面白く観られる所以である。

個人的には、そこよりもウィドマーク演ずる主人公のきびきびとした言動と、彼の知識によるサバイバルぶりの面白さを買っているわけだが。

そんな頼りになる彼を、キリスト教の良い面を常に発揮しているフェリシア嬢が弟に優るとも劣らないシンパになり、やがて他の人々も彼に全幅の信頼を置き始める。8人編成の軍隊と協力した彼は何とかアパッチを退けるが、到着した町で殺人犯として正式に裁かれることになる。ウィドマークはここで「殺人狂時代」のチャップリン氏と同じ趣旨の自己弁護をし、フェリシアが援護の手を差し伸べる。

後は推して知るべしの展開で、個人的にはこの裁判模様は余り気に入っていない。それまでの過程で表現されていることが改めて説明されているからで、愚直にすぎるというか、屋上屋を架すような形になっている。素直に観れば、相当感動的なのであるが、映画を50年も観ているとひねくれるところも出てきます。

映画芸術的な角度からは、ジョン・フォードの秀作西部劇群ほど推せないにしても、最後の部分を除くと、フォードの作品のような臭みがないのが良い。コンパクトでやはり好きな作品だ。デルマー・デーヴィスらしく風景の捉え方が美しい。やはりインディアンに同情的だった旧作「折れた矢」(1950年)も好きだった。

実はフォードの傑作「駅馬車」の換骨奪胎ヴァリエーション。あの作品の敵もアパッチでしたね。

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