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zoom RSS 映画評「だれかの木琴」

<<   作成日時 : 2017/09/26 08:58   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2016年日本映画 監督・東陽一
ネタバレあり

東陽一は「サード」(1978年)や「もう頬づえはつかない」(1979年)では好調だったが、「頬づえ」で女性映画に傾いてから次第に不調に陥っていく。昔の付き合いで近作も見ているものの、当時の力は感じにくい。しかし、井上荒野の同名小説を映画化した本作は久しぶりになかなか面白く観られた。原作のおかげですかな。

中間職の夫・勝村政信と中学生の娘・木村美言を持つ40歳くらいの有閑主婦・常盤貴子が、初めて行った美容院の男性美容師・池松壮亮が気に入り、仕事上のメールを交換したのを勘違いして、次第にストーカーと化していく。彼には恋人・佐津川愛美がいるが、この件で仲違いしてしまう。

というお話で、世間的にはサスペンスとして怖がられている感じであるが、映画版を見て僕は完全なる純文学と受け取った。つまり、理解してほしい女性(の本性)と理解できない男性(の本性)の対立で全て構成されている、と。

貴子嬢がストーカーになるのは、一見優しい夫との関係に孤独を感じているからで、池松君はその穴埋めにすぎない。彼に髪をいじられている時考えているのは常に夫のことである。
 子供の時孤独を感じた彼女はでたらめに木琴を叩くことで自ら音楽そのものになろうとした。音楽は彼女の本性を象徴する。従って、木琴は彼女自身と考えることができるのだが、僕は池松君がでたらめに叩かれる木琴であるような気がしている。

彼女は娘の干渉もあって池松君と縁が切れた後、今度は夫の部下をターゲットにするが、本作の女性は愛美譲も娘の美言ちゃんも、夫がワン・ナイト・スタンドを楽しむ女性も実は彼女と大して変わらない。現に、池松君はスーパーで出会った美言ちゃんの「大人になったらまたお願いします」という言葉を聞いてぞっとする。男性は池松君も夫の部下も、恐らくは勝村氏も、彼女の、或いは彼女たちの木琴なのである。

おしなべて、枝葉末節を捨象(しゃしょう)して女性の本性と男性の本性とを二元論(対立的に語る二元論は即ち一元論)的に論じた作品として面白く観られる所以である。

加えて、生きた会話を余り交わさない夫婦のスマホで会話する不気味さが、コミュニケーション不全に陥っている現代社会を象徴し、電車の中で全員がスマホをいじっている場面と合わせて、発せられる言葉の人間に与える意味を命題として打ち出す。しかし、直球な命題提示ではない。例えば、電車の中で全員がスマホをいじっているのかと思いきや実は一人が眺めているのはスマホではなく位牌。無駄とも言える描写ながら、そこはかとなくユーモラスで、映画に柔らかみを与えているのである。

女は怖いよ、男はつらいよ。常盤嬢を怖がるのではなく、一般論の映画じゃよ。

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だれかの木琴 ★★★
直木賞作家・井上荒野の同名小説を「サード」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の東陽一監督が映画化したサスペンス・ドラマ。たまたま出会った美容師の青年に危険な妄執を抱いて常軌を逸していく孤独な専業主婦の心の奥底をスリリングに描き出していく。主演は「赤い月... ...続きを見る
パピとママ映画のblog
2017/09/26 15:30

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