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zoom RSS 映画評「雨のしのび逢い」

<<   作成日時 : 2017/08/21 09:54   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 4

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1960年フランス=イタリア合作映画 監督ピーター・ブルック
ネタバレあり

先日亡くなったジャンヌ・モローを追悼する気持ちで、わがライブラリーからピックアップ。

1980年のクリスマス・イヴに国立フィルム・センターで初めて観て、僕はかなり酔わされた。その時の映画評を読むと「邦題につられて甘いお話を期待したせいなのか、周囲の反応はパッとしていないようだった」などと書いてある。今回見ても、フォーマットは不倫ものめいたメロドラマでありながらも、実際には人生の苦みを描いた作品と思われる。原作・脚色がマルグリット・デュラスだから「むべなるかな」である。

海辺の小さな町。大きな鉄工所を営む社長の夫人ジャンヌ・モローは時間を持て余し、7歳くらいの息子(ディディエ・オードバン)のピアノ・レッスンに付き合うなどしている。先生の家にいると、外から女性のうめき声が上がり、やがてそれが殺人事件であったと判明する。
 事件が気になって酒場に行くと、夫の会社に勤める若い男ジャン=ポール・ベルモンドに声を掛けられ、彼に事件の真相を聞くという大義名分で、息子を連れて彼と会い続ける。元来夫人に憧れを抱いていたベルモンドは、しかし、懇意になると夫人に失望し、「町から出ていく」と唐突に告げてあっさりと去って行く。
 彼女が殺された女のようにうめき声を上げていると、パーティー中に抜け出した彼女を探していた夫の乗る車が現れ、彼女はごく当たり前のように(恐らくは諦観を持って)車に乗り込む。

と書くと何ということのないメロドラマである。しかし、殺人事件(の背景)が二人の関係の予言或いは願望となっていることを示す構造が文学的で、一筋縄で行かないものがある。
 ベルモンドがジャンヌに最初に告げる殺人事件の背景は、実は彼が彼女に求めていたもので、そこには精神的に塀の中に押し込められている気分を味わっているにちがいない彼女の願望も重ねられている。ベルモンドが「男は殺してやりたい気持ちになった」という時、それは彼の彼女の心理を慮った一種の願望である。しかし、願望と現実は違い、彼は常識に則って夫人から離れ、夫人も常識に従い諦観を持ってそれを受け入れざるを得ない。

一向に練習になじまない子供の上手くないピアノは、ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーがハーモニー(調和)の象徴として歌ったことを考えれば、夫婦の不協和音の暗示である。そこから始まる本作は、そうした文学的要素を多く配置し、或いは登場人物の心理を沈潜させるかのようにゆっくりした移動撮影を随時挿入し、シンプルなピアノ演奏の背景音楽と合わせて、抜群の詩情を醸成する。元来は演劇畑のピーター・ブルックの演出は、にわかに出身が信じられないほど映画的である。

いつもつまらなそうな顔をしているジャンヌの演技も印象的。一本調子という批判的な意見を目にしたが、酒場に行くたびにヒロインの態度や言葉の調子は変化してい、その辺りをきちんと見極めれば一本調子という誤解は消えるだろう。

合掌。

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雨のしのび逢い
(1960/ピーター・ブルック監督/ジャンヌ・モロー、ジャン=ポール・ベルモンド、ディディエ・オードパン/105分) ...続きを見る
テアトル十瑠
2017/08/21 10:28

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
7年前にNHK−BS放送を観たと記憶しています。
同じ60年につくられた「甘い生活」や「情事」のように、高度経済成長に追い付かなくなった人心の疲れというか、人生の虚無感に襲われた人々を描いた作品の一つのように感じましたネ。
プロットの展開が独特で、馴染みづらい所があり、2度目の鑑賞で大まかに把握できた感のあるストーリーでした。
2度観ようと思うかどうかによって、評価は違ってくるでしょうね。
十瑠
2017/08/21 13:41
十瑠さん、こんにちは。

>NHK−BS
今回見たのはその時の放送の時のものと思います。
盤はブルーレイですが、内容はハイビジョンではなかったので。

>高度経済成長に追い付かなくなった人心の疲れ
なかなか鋭いポイントですね。
だからつまらなそうな顔をしている登場人物が多い!
アントニオーニの場合はそこに核への恐怖があった感じがします。

>プロットの展開
まあ、アンチ・ロマンと言うかヌーヴォー・ロマンの作家が原作・脚本を書いていますので、いわゆる起承転結の制約を外しているかもしれませんね。
右脳的ですが、こういうのは「去年マリエンバートで」同様に左脳人間も刺激するようです・・・
オカピー
2017/08/21 23:38
これは鹿児島の名画座で高校生の時見ました。
私の映画鑑賞歴の始まりと言っても良い経験でした。
ジャンヌ・モロー哀悼の記事を書こうとしてまだ果たせず。
よくぞ書いて下さったという思いです。
Bianca
2017/08/22 10:52
Biancaさん、こんにちは。

ジャンヌ・モローに絡めて、もっと気の利いたことを書けたら良かったのですが、僕の文才ではこんな簡単な映画評で済ますしかありませんでした。

>鹿児島
ご出身は鹿児島ですか?
オーソドックスな作品ではないと思いますが、それでも1960年代初めの映画らしさがよく伝わって来る作品ですから、きっと良い思い出となっていることでしょう。
オカピー
2017/08/22 20:36

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