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zoom RSS 映画評「裸足の季節」

<<   作成日時 : 2017/06/01 09:36   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年フランス=トルコ=ドイツ合作映画 監督デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
ネタバレあり

今年トルコでは憲法改悪が国民により承認された。イスラム原理主義的な大統領の権力が強化される結果、トルコの政教分離も風前の灯火と言われる。僕の持論では、一定以上の発展を遂げた国では言論の抑圧があると経済力が落ちる。トルコ国民はきっと数年後には後悔するだろう。翻って、司法が甚だ弱い日本において共謀罪がいびつな形で施行されると、【風が吹けば桶屋が儲かる】の式で、10年後くらいに日本の漫画が衰退し経済的にマイナスになるのではないかと思っている。

それはともかくこの作品が作られた頃のトルコでは政教分離が厳然と守られ、都会では女性たちも自由に闊歩している。ところが、本作の舞台は旧弊な田舎である。
 日本風に言えば小学高学年から短大生くらいの5人姉妹が、海辺で少年たちと戯れたのが原因で、事故で亡くなった両親の代わりに彼女たちを育てている祖母や叔父にがみがみ言われただけでなく、家に閉じ込められて、イスラム教条的な花嫁修業を徹底的に施されることになる。
 しかし、長年慣れた自由な気風を知る彼らには反発を覚えさせるだけ、こっそりサッカー見学にも行ったりする。そこで叔父たちは上から順番に結婚させることにするが、やがて悲劇を起きる。三女が自殺してしまうのである。
 残った四女と本作の語り手たる末っ子ラーレ(ギュネシ・シェンソイ)が家を抜け出、何度も関わり合って親しくなったトラック運転手に乗せてもらい、イスタンブールを目指す。

女性教師がイスタンブールに去る開巻直後のエピソードが布石となって最後に生きる形で、些か古風な呼応のさせ方であっても、きちんとした構成という印象を残す。トルコ出身のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンという女性監督がメガフォンを取った、事実上のフランス映画である。

最近では二年前に「少女は自転車にのって」というサウジアラビアの女性が可哀想になってしまう作品を観たが、本作の少女たちはもっと可哀想である。「処女かどうか」で結婚の可不可が決まる。今の我々が見るとナンセンスな騒ぎでも当事者にとっては大変なこと。この辺りまではまだまだコミカルな印象もあって苦笑しながら観られるが、家の周りに鉄格子が作られ、叔父の言動が過激になるに従って、観客たる我々の気分も重くなり、少女が一人亡くなった時点で完全に悲劇に暗転する。この息苦しさにはもはや何をか言わんである。
 イスラム教に限らず、旧弊な思想下では、女性を守る名目で苛烈な男尊女卑的なことが為されることが多い。自由主義国家に生き想像力があれば、男女を問わず、少女たちに置かれた状態に義憤を覚えるであろう。

しかし、今日の新聞を読んで日本も他国のことは言えないと思った。安倍政権シンパらしいジャーナリストを準強姦罪で訴えたが書類送検で終わった為に被害者が検察審査会に申し立てた件で、ネトウヨが「(訴えている女性が)胸元の開いている服を着ている」と、彼女がいかにも男性を誘う淫乱な人間のようなことを言っているのである。誘おうが誘うまいがやってはいけないことはいけないわけで、彼らは本作に出てくるイスラム原理主義者とまるで変わらない。彼らはヨーロッパの社交を知っているのだろうか。皇室関係者が何とか姉妹のような胸が露骨に見える服を着ている。それを見て「淫乱だ」などと思う国民はいない(はずである)。

映画的には5人の少女の溌溂とした魅力が発散される諸場面が良く、それがあるが故に軟禁される箇所での鬱屈さが際立つ。本作の為にオーディションされた5人の美少女の効果と言うべし。

現在でも警察権力が強く司法が弱い我が国にあって共謀罪が施行されると、色々な意味でまずいことになる可能性が高い。昔のようにマルクスを読んだから逮捕なんてことにはならないだろうが、条約発案者自ら否定している理由(条約はテロ対策ではない。条約締結に国内法は原則関係ない)を根拠に、即ち嘘をついてまで成立を急ぐには政府以上に法務省に良からぬ魂胆があるのだろう。

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「裸足の季節」
本作を鑑賞し終えた人の中にはこの作品に、感動や爽やかな余韻を感じる人も多いだろう。そのこと自体を批判するつもりは全くない。全くないのだが、私はとてもそんな気持ちにはなれない。10年前に両親を亡くした美しい五人姉妹、トルコの片田舎、風光明媚な海岸線、手の込んだ料理、清潔な寝具、そういうのを全て取っ払って考えてみよう。ただこの事実だけが浮かび上がる。「女」だというだけで、柵を張り巡らされた家の中に閉じ込められ、外出の自由もなく、教育を受ける機会を奪われ、若過ぎる10代での結婚を強いられる。NGOが救... ...続きを見る
ここなつ映画レビュー
2017/06/01 12:54

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>「処女かどうか」で結婚の可不可が決まる。
こういうことがあるんだなと知ると、処女膜再生手術、というのがニーズがあるのが分かりますね。トルコだけでなく、カトリックなど他の宗教が支配的な地域でもあるんじゃないでしょうかね、似たような事情が。
処女膜再生手術、日本だと、愛染恭子が映画やヴィデオのためにしたのが話題になる程度で、どうしてあんな手術があるのか「?」な人が大勢になってしまいます。日本人はのんきでいられるということになりますか。
nessko
URL
2017/06/01 18:36
nesskoさん、こんにちは。

カトリック国でも一般的にはかなり自由になっているのではないかとは思いますが、カトリックやアメリカに多い原理主義コミュニティでは依然そういうことがあると僕も思いますね。

封建時代の日本では実際どうであったか解りませんが、文学や映画で見たことがありません。ですから、イスラムやキリスト教のような騒ぎはそれほどはなかったのではないしょうか。
現在の日本では全くこれを問題にする日本人は殆どいないでしょう。いたとしても、寧ろ男性の嫉妬レベルの問題でしょうね。本作のように女性側の問題となることはもはやないですね。

nesskoさんの興味の範囲から外れる女優さんかもしれませんが、今日本館で画像クイズをアップしました。よろしければ、お寄りください。
オカピー
2017/06/01 22:29

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