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zoom RSS 映画評「虞美人草」(1941年)

<<   作成日時 : 2017/05/25 09:11   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
1941年日本映画 監督・中川信夫
ネタバレあり

40年ぶりに夏目漱石の「虞美人草」を再読したところ。そこでYouTubeに「虞美人草」がアップされていたなと思って観ることにした。ところが、溝口健二の作品かと思って構えて見始めたら、中川信夫監督バージョンであった。少しがっかりしたものの、原作との比較ができるのならこちらでも良しとして見続けた。

哲学科を卒業したものの病弱な甲野欽吾(高田稔)は継母とその娘である妹・藤尾(霧立のぼる)に財産を譲って自分は隠棲でもしようと思っている。優秀な詩人で将来の見込みのありそうな小野清三(北沢彪)と結婚したい藤尾にとってはこれ以上ない好条件だが、世間体を考えるとそう簡単には行かない。
 小野も将来を考えると藤尾との結婚が望ましいが、学生時代の恩師・井上孤堂が結婚させるつもりでいる娘・小夜子(花井蘭子)という存在がある。
 また、藤尾には親戚筋の外交官志望・宗近一(江川宇礼雄)という求愛者がいて、その妹・糸子(花柳小菊)は欣吾を思慕している。

藤尾をめぐる三角関係とその関係者の一人である小野をめぐる三角関係を含む6人の男女の愛情関係を綴った内容は漱石としては通俗的、藤尾(の生涯)をクレオパトラ(の生涯)にダブらせた幕切れに勧善懲悪的な色彩もあって、純文学的にどうかという意見もあるようだが、自我の問題を本格的に取り入れ、漱石どころか日本近代小説の嚆矢と言っても良い原作にかなり忠実である。

前半こそ駆け足気味に処理されているものの、後半はほぼ原作そのままで、お話だけ追うならこの作品を見れば原作を読んだ振りをすることはできそう。但し、漱石の作品は、リズムのある実物を読んで初めて価値があるものだから、是非一度は読まれたし。

本作については、原作でさえまだメロドラマ的である上に、映画化でよくあるように、テーマが皮相的に扱われていてごく大衆的な印象に留まる。映画版もお話自体はそこそこ面白いと思うが、原作を読んでいないと解りにくいところがあるかもしれない。
 宗近が小野を説得する場面で頻繁に使われるキーワードが「真面目」である。これは現在言う「真剣」に近く、不真面目・真面目の真面目とは少し違う。これを理解しておけば本作はよく解ると思う。

映画的に印象に残るのは、藤尾が小野に対して「なぞかけ」をするところで移動するヒロインに合わせてドリーするカメラくらい。西洋的な我の強い藤尾の場面で流れるピアノに対し結婚を拒否される日本的に古風な小夜子の場面に際しては琴が背景音楽として流れる対照も面白い。但し、小説で宗近たちが小夜子の琴を耳にする場面があるように、琴に関する前段があればさらに効果的だったと思う。
 二人の中間的な性格を持つ糸子が女性としては魅力的だ。彼女は西洋女性風に我は強くないが、小夜子のように他人の言動に流されない。彼女が世間体を気にする藤尾の母に言う台詞が実に素敵だ。

(追記)戦時中らしく映画の始まりに「征かぬ身はいくぞ援護へまっしぐら」という文字が出る。つまり、兵隊でないものは徹底的に銃後で支援するということなのだろう。

漱石の作品の中で恐らく本作が映像化に一番向いている。本作が3度目の映画化で、TVドラマも結構多い。

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