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zoom RSS 映画評「夏の嵐」

<<   作成日時 : 2017/05/19 09:34   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
1954年イタリア映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり

ルキノ・ヴィスコンティの作品はリアル・タイムで接したものは勿論、旧作もリバイバルなどを通して映画館で殆ど観ているが、本作は地上波カット版と衛星放送完全版のみ。というわけで、今回は多分3回目の鑑賞になるだろう。

オーストリアに占領されていた1866年のヴェネツィア、愛国者の伯爵夫人リヴィア(アリダ・ヴァリ)は、敵軍将校マーラー(ファーリー・グレンジャー)と決闘するほどの喧嘩をした従弟の侯爵(マッシモ・ジロッティ)を心配し、談判しにマーラーを訪れる。マーラーは決闘を逃れるべく侯爵を警察に密告し、為に侯爵は流刑に付されるが、リヴィアは二枚目のマーラーによろめいてしまう。
 後日流刑地からこっそり舞い戻った侯爵は彼女に対オーストリア戦に使う義援金を預ける。彼女が伯爵と共に荘園に疎開すると、こっそり追いかけてきたマーラーは怪我を装って除隊する為の賄賂に充てる大金を何気なく彼女に要求、リヴィアは義援金を渡す。しかるに、計画通り除隊した後若い娼婦といちゃいちゃするマーラーは敵兵のいる遠い道をやって来た姥桜の彼女を冷たく突き放す。リヴィアは復讐のため軍当局に彼の偽装除隊を報告、マーラーは銃殺刑に付される。

簡単に言えば、愛国者であることすら忘れさせて敵兵に傾くほど激しい伯爵夫人の情熱を描いた内容で、「たかが不倫のお話ではないか」と酷評する人もいるが、世界文学史に残る「アンナ・カレーニナ」も「ボヴァリー夫人」も表面的にはたかが不倫のお話である。素晴らしい映画、素晴らしい作品であるかは扱った素材や要素によるものではない、ということくらいは解って戴きたいもの。

本作の恋愛部分を発展させて遺作「イノセント」(1975年)、戦争部分を発展させて「山猫」(1963年)に継承されていくという具合に、当初のネオ・レアリスモ由来のリアリズム基調のタッチはそのままながら、名門中の名門に生まれたヴィスコンティの出自である貴族階級が初めて扱われた作品である。
 終盤伯爵夫人の衣服の汚れにそのリアリズム志向がよく現れている。また、夫人がマーラーを匿う厩舎の、縦方向を強く意識したところから、クレーン撮影による俯瞰(本作には俯瞰が多い)を経て、寄りでの二人の描写に移行する一連のカット割りなど、既に大家の貫禄がある。

反面、配役には難がありそうだ。アリダ・ヴァリは「第三の男」(1949年)における柔らな英国風ムードとは違い、きついイタリア的な素のイメージで出演しているが、もう少し優雅さがあった方が良かったかもしれない。但し、演技自体は彼女の代表作中の代表作と言って良いくらい秀逸である。対するグレンジャーはアメリカの二枚目だから甘さが先行してしまう。ヴィスコンティと後に関連ができるダーク・ボガード辺りならもう少し打算的な感じが体自体から発散されもっと面白い人物像になったたかもしれない。当時のボガードにそこまでの実力があったか多少疑問ですがね。

時代背景故にイタリア統一に多大な功績を残したヴェルディの音楽が使われる。二人が出会うきっかけになったのがオペラ「イル・トロヴァトーレ」という具合。

今回のヴィスコンティ特集はWOWOW久々のヒット。「イノセント」「地獄に堕ちた勇者ども」「異邦人」「山猫」「白夜」「揺れる大地」辺りでもう一回特集を組んでもらいたい。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
冒頭のオペラの場面、それから戦場の場面など、すごくお金と手間がかかってる感じしましたね。あのころはまだ兵士が派手な軍服来てるのですね。
マッシモ・ジロッティはヴィスコンティの処女作で主演した男優ですね。ファーリー・グレンジャーはいかにも軽薄な美男子で伯爵夫人が自分に気があるのをわかって利用してるのですが、そんなにあくどい感じもしない(あんまり深く考えてやってない)のがあの役には合ってたのかなと思います。最後、すさんでいるのも、もっと自分ちゃんとやりたいのにそれもできないで荒れてる雰囲気で、ちょっとこずるいけどふつうの人、陳腐な男なんですが、そういうのに入れ込んであそこまでいく伯爵夫人が憐れなんですよね。ヴィスコンティは伯爵夫人に自己投影していたのかもしれない、と考えると、こわいものもあります。
nessko
URL
2017/05/19 20:35
nesskoさん、こんにちは。

>お金と手間
リアリズムによる完全主義者だから汚いところは汚いけれど、金も手間も徹底してかける。この辺りは後年の「山猫」などでもそうでしたね。

>ファーリー・グレンジャー
僕はヤンキー的で気に入らなかったのですが、おっしゃる通りかもしれません。
陳腐な男は、陳腐な悪に通じ、本当にくだらない人間なのですけれど、伯爵夫人は恐らく政略結婚で、恋愛らしい恋愛をしたことがないので、ああいう男に引っかかったのでしょう。ヴィスコンティは彼女に決して憐れみをかけない。これはこれでまた怖いですね。
オカピー
2017/05/20 17:14

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