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zoom RSS 映画評「サード」

<<   作成日時 : 2017/05/18 09:40   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1978年日本映画 監督・東陽一
ネタバレあり

大学生の時に観た。東陽一の出世作として記憶に残っている。また、僕にとって永島敏行のイメージは40年来本作の彼である。コンスタントに見てきた役者であるが、最近大使役で出演していた「海南1890」を観た時も「貫禄がついたものだなあ」と約40年前と思わず比較しているのである。

ある地方都市。高校野球部に属する“サード”(永島敏行)は、数学が得意な“IIB”(吉田次昭)と組んで、仲の良い女生徒“新聞部”(森下愛子)、“テニス部”(志方明子)と、大都会に出る資金を得ようと、売春グループを結成するのだが、やくざの客(峰岸徹)ともめて過失死させ、現在少年院にいる。
 “サード”は院内で孤立し、いつもつまらなそうな顔をしている。先輩に文句を言われて喧嘩になって独房(とは言わないのだ)に入れられることもあるが、概ね模範的な生徒である。本音では大人の言うことや決めたことを馬鹿にしているところがあるが、顔には出さない。

やがて窃盗のかどで入院してきた“IIB”を含め、少年たちの生活が紹介される。狂歌じみた短歌を作って楽しむ者や紙飛行機を通して将来の可能性に思いを馳せる者など、余り描かれたことのない少年院内部の描写がかつて興味をそそったものである。

主人公はベースのないホームを目指して走り続ける夢を見る。目標や帰るべき家のない(実際にはあるが、恐らく落ち着ける家ではない)彼の現実の象徴であり、少なからぬ若者の内面を普遍的に表現しようとしているのであろう。現実のランニングではIIBに「自分にあったスピードで走れ」とアドバイスする。無理をして生きるなという処世術に通じる言葉で、ランニングを青春の象徴としたかのような全体の作り方は、軒上泊の小説を脚色した寺山修司らしく、リアリズムをベースにしながら内省的にして詩的である。映画らしい青春映画が少なくなった現在では、当時感じた瑞々しさとは違う新鮮味を覚える。

東陽一の演出は、河P直美などに先行するセミ・ドキュメンタリー・タッチで、役者ではなさそうな人物を出して来たり、逆に役者をスナップのように撮る。今回はこの辺を面白く見た。
 東監督は暫くこんな感じで作品を撮り続けてきたが、僕の印象では、じり貧気味で、結局本作と同等若しくは上回る作品を作れていない。桃井かおり主演「もう頬づえはつかない」が本作に次ぐだろう。

「書を抱け町から出よう」てな作品でした。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
 やはり、プロフェッサーと同時期にこの映画を観て、大いに感動し、「祭りの準備」とともに
ATG作品の中でも出色と思いながら再見できずにいますが強烈な印象を残した映画です。

 特にぼくは、高校生のころから、寺山修二率いる演劇実験室「天井桟敷」のファンで、渋谷駅の大歩道橋近くにあった劇団の事務所兼喫茶店に度々出入りし、競馬観戦中の寺山に質問などしていました。、
東北出身の寺山は、「君は、群馬なのに訛りがないね」と、訝っていました。上州言葉は江戸弁の素になったと言われるくらい荒くて強いですが、田舎独特の言い回しを除けば、イントネーションもほぼ標準語(東京弁)と」変わらぬと思います・・。
(東京に出たころ、知り合った友人との会話で、少しばかりの意味で「ちんばい(ちっとんばい)」と、つい言ってしまい相手に通ぜず赤面した覚えが・・笑)
浅野佑都
2017/05/20 18:30
>セミ・ドキュメンタリー・タッチ
サードこと永島敏行を護送する途中、村祭りの一行に遭遇するシーンなど、「田園に死す」に通ずる寺山ワールドの雰囲気も出ていてまさにシュールなドキュメンタリーを観ているようでした。

>役者ではなさそうな人物
永島敏行自身、いい意味でいつまでも垢抜けない素人っぽさを漂わせている稀有な俳優で、本当に変わらない・・。彼の個性がこの映画を一段階上げていますが、秋吉久美子と共演した「透光の樹 」はしっとりとした良い作品なのに、テレビ局下請けのビデオ制作会社社長だという彼の役柄はまったく似合っていませんでしたね。

ロケ中の地元の一般人を映画に出演させるのは、山田洋次もよくやり、院内の少年たちの中にも、あきらかな素人と思える者もいるのですが、実は、(短歌を詠む少年など)寺山の演劇実験室「天井桟敷」の俳優たちも混じっています。

東陽一は、黒木瞳の「化身」関根恵子「ラブレター」川上麻衣子「うれしはずかし物語」なども観ましたが、どれもアベレージといった感じで、やはりプロフェッサーの言われるようにこの作品と「もう頬づえはつかない」の二作品ですね、ピークは。

 最後に、忘れてはならない、われ等が(笑)森下愛子の初々しくも小悪魔的な魅力も、作品に大きく貢献していると言えるでしょう・・。
吉田拓郎が裏山鹿、といえます。
浅野佑都
2017/05/20 18:37
浅野佑都さん、こんにちは。

>「祭りの準備」
デジタル・ビデオに記録してあり、機械が壊れていなければ近々観ようと思っていたところです。良い作品でしたね。

>「天井桟敷」
それは本格的だ!
当方は淀川先生の「友の会」出席くらいしか活動はなかったなあ。

>上州弁
全くおっしゃる通り。
 中山道沿いなので、栃木や茨木などのような大昔の日本語の発音を名残を残していませんね。江戸時代の洒落本などを読みますと、東京では現在使われず群馬ではまだ使っている言葉などが出てきて面白いです。

>ちんばい(ちっとんばい)
個人的には余り使いませんが、この辺は「ちっとんべえ」ですね。
僕は、「走る」と言うべきところを「飛ぶ」と言って慌てて訂正したことがあります。

>永島敏行自身・・・素人っぽさ
そうかもしれません。
 とは言っても、昨今は随分貫禄がつきましたが、佐藤浩市みたいないかにも役者といった演技はしませんね。

>寺山の演劇実験室「天井桟敷」の俳優
そうですか。さすがにその辺は精通されていますね。

>東陽一
男性が中心なのは本作くらいで、「もう頬づえはつかない」以降女性が主人公の作品ばかりですよね。それが悪かったか(笑)

>森下愛子
まさに僕らの世代ですからね。
 そうか、吉田拓郎の奥さんだっけか。浅田美代子のイメージが残っていて、忘れておりました。
 同世代としては栗田ひろみと少しかぶる。彼女が「放課後」で女子高生を演じた時は24歳。高校生に見えたけどなあ(笑)。
オカピー
2017/05/20 22:19

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