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zoom RSS 映画評「山の音」

<<   作成日時 : 2017/04/26 08:41   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1954年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり

本作は1980年代半ば初めて観て感心した。川端康成の原作は4年ほど前に大活字本(楽なのだ)で読んでみたが、これが実に素晴らしかった。川端作品の中では一番好きかもしれない。そして、本作を再鑑賞した。

ストーリーの流れは、幕切れを除けば(何となれば小説が完結したのは映画より後だから)、小説に近い。しかし、行間の読ませ方やぼかし方が互いに結構違うのではないかと感じる。

鎌倉。結婚して数年の若妻・菊子(原節子)は夫・修一(上原謙)との間がうまく行っていない。それを察した舅・信吾(山村聡)は、元来お気に入りの嫁を温かく慰める一方、その遠因が息子の戦争未亡人・絹子(角梨枝子)との浮気であることを掴むと、部下の女子社員(杉葉子)から情報を取り寄せ、同性の友達(丹阿弥谷津子)と同居している家に相手を訪れ、事実上の手切れ金を渡したりもする。
 その前に菊子は夫との関係が不安定な間は子供を産みたくないと、出来た子供を自ら堕胎する。信吾は終の棲家とすべく信州への引っ越しを決意し、離婚を考えているらしい菊子と別れの挨拶を交わす。

小説ではいかなる意味でも別れの場面はなく、「それでも人生は続く」といった感じで終わったと記憶する。その代わり舅の菊子への恋愛に近い感情は、夢を見るなどし、ぐっとはっきりと示されていた。そもそも小説では三人称小説であるけれども終始舅の心理を中心に描かれていて、その点からして具体的なわけである。映画は、愛人をこしらえた修一をめぐるそれぞれの心境や反応を描く形で進行するので、舅の心境は少し曖昧になっている。

それが脚本の水木洋子や監督の成瀬巳喜男の狙いでもあるようで、例えば、信吾が友人から貰い受けた能面に菊子の面影を見出す場面で、間接的に「その思いを感じ取ってくれ」とばかりに、カメラが杉葉子の被った能面を見つめる山村聡を捉えた後マルチカット気味に家事をする菊子のショットへ繋がれる。映画的に僕が一番気に入った箇所で、原節子のメイクも能面に似せているような感じもする。
 妻を子供っぽいと思う夫の非道な仕打ちに菊子が耐えられるのは義父の存在があればこそで、事実上二人の間にプラトニックな恋愛感情があったと読み取って貰えるように設計していると思う。非常に隠微(淫靡ではない)な作り方だからこそ滲み出る味わいで、原作の思慕関係とはまた違う趣があろうか。

原作にあった舅の死への意識(タイトル「山の音」はその心境を表していたと思う)が全く扱われず、死の思いとは無関係にぐっとホームドラマ的なアングルから思慕を綴る形になっているが、そこに成瀬作品らしい意地の悪さがある。

成瀬作品も小津作品と同じようにデジタル・リマスターしてよと言いたい。デジタル・リマスター版「麦秋」は録画済と思っていたがしていず、チャンスを逃した。多分年内にもう一度出るだろうからそれを待つ。

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