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zoom RSS 映画評「ピアノ・レッスン」

<<   作成日時 : 2017/02/10 09:37   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1993年ニュージーランド=オーストラリア合作映画 監督ジェーン・カンピオン
ネタバレあり

1993年のカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞したジェーン・カンピオン監督の秀作。1975年の「タクシー・ドライバー」くらいからカンヌ映画祭と僕の相性は悪いのだが、この作品の受賞は納得だった。二十数年ぶりの再鑑賞。

19世紀半ば。訳ありで口がきけなくなったエイダ(ホリー・ハンター)がスコットランドからニュージーランドへ、娘フローラ(アナ・パキン)を連れて、開拓民スチュワート(サム・ニール)と結婚するためにやって来る。しかし、彼女が言葉の代わりとしてきたピアノは、森を越すのが難儀なので、暫し海辺に放置されることになる。
 運搬を指揮した白人べインズ(ハーヴィー・カイテル)がピアノに興味を持ち、自らの土地と交換、エイダを教師として招く。恐らく最初からエイダが目的だったべインズは、黒鍵との交換で希望を実行することを約束させる。最終的にピアノは彼女の物になるという次第。この取引が影響を与え、彼女は原住民マオリ族に溶け込んでいるこの男に傾倒していく。

お話は次第に男二人に挟まれた三角関係になっていくのだが、心理ドラマであって、狭義の恋愛映画とは思わない。一番近いのは、恋愛心理ドラマという定義だろうか。

物語の核は、原題にもなっているように「ピアノ」で、彼女の言葉であったピアノは様々に彼女の運命を左右する。言わばピアノが主役のようなもので、彼女がスチュワートに馴染まないのは恐らくピアノを移動させなかったから、逆にべインズになびいたのはピアノ=彼女に興味を持ってくれたから、だろう。
 彼女がピアノの鍵(けん)をべインズへの手紙の代わりに使うと、ピアノはスチュワートを使って彼女に復讐する(かの如し)。最後も見捨てられたピアノが彼女を巻き添えにするように海に引き込む(が、生への希望が芽生えていた彼女は生を選択する)。

彼女の人生はピアノを通して自縄自縛になっていたのだが、べインズがそれを解き放つ。大事なピアノの鍵を手紙代わりにすること自体、ピアノへの愛着より彼への愛情が優っている証左であり、この時点で彼女はピアノの縛りを解いたことになる。だから、ピアノを捨てる決心も出来たのである。彼女の心理の変遷は、ざっと述べれば、こんな感じだろう。

開発途上のニュージーランドの野趣を交えた描写とそれを映した撮影が優秀で、寒色系と暖色系を使い分けた色彩設計もなかなか結構。
 音楽はマイケル・ナイマンにしてはメロディアスだが、それでも前衛クラシックのような感覚が随所に現れて大いによろしい。実際にピアノを弾いているホリー・ハンターが抜群の好演、彼らの間を文字通り天使のように駆けずり回るアナ・パキンも出色の出来。

邦題も皮肉っぽくてなかなか良い。「ピアノ・レッスンなど殆ど出て来ないじゃないか」と真面目に文句を言う人がいるが、ちと野暮な意見だろう。逆説的な或いは皮肉なタイトルは世に腐るほどある。

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