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zoom RSS 映画評「リスボン特急」

<<   作成日時 : 2016/12/25 08:57   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
1972年フランス映画 監督ジャン=ピエール・メルヴィル
ネタバレあり

昨日はジャン=ピエール・メルヴィルのデビュー作、今日は(一映画ファンとして)思いがけず訪れた印象の遺作。この対照は意図的ではないが、メルヴィルを続けたのは意図したものである。封切以来40何年かぶりに観るデス。

海岸沿いの道路を走り続けた車が銀行の前で停まる。車から降りた4人組の男が銀行強盗を敢行する。
 というのが発端で、この一連の描写は、ドライにして丹念で実感を伴い、かつ、映画的な美しさがあり、本作で一番優れている部分と思う。

警部アラン・ドロンがこの事件を捜査することになり、四人組の一人で病院へ運び込まれたアンドレ・ブースを手掛かりに犯人を捕まえようとするが、仲間と繋がる情報は結局得られない。
 その頃、四人組のリーダーのリチャード・クレンナは早くも別の仕事、麻薬の転売での大儲けを企む。警部はその情報の一部を女装の密告屋から聞き出すが、この時点で強盗事件との関連性は全く掴んでいず、ましてそれが戦友でクラブ経営者のクレンナの計画とは思いもしない。
 クレンナの恋人でドロンとも折に触れて関係のある美女がカトリーヌ・ドヌーヴで、彼女はクレンナに命じられて看護婦に化け、情報を洩らさせぬようブースを殺す。結局、ドロン警部がもう一人の仲間を逮捕したことで遂に全容が判明するが、犯人に気づいて事件を闇に葬りたかった彼の思惑は組織の枠組の中で実現できず、カトリーヌの眼前で丸腰の戦友に発砲することになる。

半ば倒叙ミステリーの構図。クレンナ側の行動とドロン側の行動が暫し並行し、それがやがてドロン側からクレンナ側に知らず接近していく構成は一応興味を途切れさせないが、やや冗長に傾く印象あり。
 一味がヘリコプターを利用して麻薬を強奪するシークエンスはアクションの見せ場として機能しているだけでなく、完全犯罪のトリックとしてもなかなか面白い(その結果女装の密告屋がひどい目に遭う)が、全容解明のきっかけとなる一人の逮捕に繋がる前段が詳しく説明されないのは不満である。幕切れが丸腰のドロンが刑事に殺される「サムライ」(1967年)の役をひっくり返しただけというのも芸がないような気がする。総じて名匠の遺作としては残念な印象。

反面、映画的ムードはさすがに優秀で、当時のフレンチ・ノワールは【面白い・つまらない】だけでは語れないものがあったように思う。

当時ドロンとカトリーヌの初共演が事前の話題になったが、いざ本編を観てみると実質上の主役はクレンナで、それまで全く地味な存在であった彼が「ドロンを食った」などと映画雑誌紙上で騒がれたり、女装男がへたな女性より女っぽいと話題になったのをよく憶えている。但し、この女装男役はヴァレリー・ウィルソンという立派な女優なので、女っぽいのは当たり前なのであったと言っておきます。

ドロン・ファンへのクリスマス・プレゼント(になったかな)。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
『リスボン特急』@〜「フレンチ・フィルム・ノワール」の新しい在り方〜
「映画というものは単なるスペクタクル芸術ではないということを発見したのだ。私は非常に長いこと映画はスペクタクルだと信じ込んでいたのだが、ここ数年の新しいアメリカ映画の諸作品を見て、自分が間違っていたことに気がついたのだ。(−中略−)映画は文学、音楽、絵画の三つを結合して、我々の文化に取って変わったのだ。映画は総合芸術だ。多数の芸術なのだ」  ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、この作品の制作時にこう語ったそうです。 ...続きを見る
時代の情景
2016/12/25 21:11
『リスボン特急』A〜芸術として難解な「フレンチ・フィルム・ノワール」〜
 最近、フィルムアート社から発行されている古山敏幸氏の著作『映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル』を読んで強い刺激を受け、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を再見してばかりいます。 映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル古山敏幸 / フィルムアート社 ...続きを見る
時代の情景
2016/12/25 21:11

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
>フレンチ・ノワール
雰囲気がいいんですよね。アメリカ映画や邦画にはない、フランスだけの味わいがあって。あとなんとなく関西的男性優位な社会文化の匂いがあって、アメリカ映画より日本人になじみやすい面もあったかもしれません。子供の頃はテレビの洋画劇場で、アメリカだけでなくフランスやイタリアの娯楽作がよく放映されていました。アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーヴは、誰でも知ってる大スターだった。
最近は地上波であまり映画が放映されなくなってるような気がする。子供の頃、なんともなしにテレビで映画見て、映画好きになるという機会が減ってるのではないでしょうか。
nessko
URL
2016/12/25 18:05
nesskoさん、こんにちは。

>アメリカ映画より日本人になじみやすい
アメリカ映画は合理的であるのに対し、フランス映画は運命論的であったり、情が濃く絡んできたリ、日本人が好む要素が多かったと思いますね。

難しかったり、面倒くさい映画も多く、一部で敬遠されて、フランス映画はかつてのような規模で公開されなくなりましたし、地上波に至っては欧州映画は全滅状態です(多分)。アメリカ映画でさえ地上波では限定的でごく一部のシリーズものが新作公開に合わせて放映される程度。民放衛星放送は、スティーヴン・シーガル(セガール)の「沈黙の〜」と健さんばっかり(笑)

>子供の頃はテレビの洋画劇場で
僕もTVの洋画劇場がなければ、映画ファンになっていなかったと思いますよ。
現在邦画は大人気ですが、TVの延長というレベル・内容の作品が大半ですから、映画ファンまして洋画ファンは増えそうもないですね。
オカピー
2016/12/25 20:45
オカピーさん、こんばんは。
何ともファンであるがゆえ、メルヴィル&ドロン作品では、私としては一番楽しんで観てしまう一本でございます。
しかしながら、ほとんどの批評等(メルヴィル・ファン、フィルム・ノワール専門家など)で概ね失敗作と言われていて・・・。
何と、しかも!
>『リスボン特急』は中途半端な失敗作になってしまったからね。
これ、出演者ドロンの言葉ですよ!
ということで、オカピー評、概ね世評通リです(笑)。
しかしながら、ファンとしては、あまりにメルヴィルのそれまでの作品の完成度と、くらべすぎの側面もあるように思うのです。誰が作ったか考えないで朴訥にこの映画を観たならば・・・
>ドヌーブきれいだな、仲間を殺すところなんて、きれいな過ぎて余計怖かったよ。吸血鬼の美女みたいだったな。あれえ、ヘリコプター模型だよ。東宝のゴジラ・シリーズみたいだ、おもしろ〜い。おっドロンがピアノ弾いてるよ。器用な男だなあ。あれだもモテるさな。それにしても、あの男娼すげえ強烈!あの人のいる飲み屋、結構客入りいいんじゃないかあ。ルーブル美術館って奥行きまで絵じゃいなか!芸術だよ!ラストのドヌーブ、旦那を恋人に撃たれて悲しそうだったな。最後のシャンソンは大人のムードたっぷり・・・シャルル・アズナブール、へえどうりでねえ、やっぱ、フランス映画っておとなっぽくてエレガンスで良いなあ。だけど、青白の映画って黒白より良い雰囲気だよなあ・・・etc

わたしが1972年にこの映画を彼女と観に行ったら、帰りの喫茶店でこんな会話をしたと思います(笑)。
ゆえにこの映画「サムライ」や「仁義」より、楽しいんですよ。
では、また。
トム(Tom5k)
URL
2016/12/25 22:35
トムさん、こんにちは。

>概ね世評通リ
どうもすみません(笑)
贔屓の引き倒しになってはまずいですし^^

採点は比較により成り立つと思うので、殊に僕の場合比較は避けられないわけですが、メルヴィルの作品群の中での比較というよりは、同じジャンルの他の作品と比べたつもりです(幕切れにおける「サムライ」との類似性については比較というより、図式の繰り返しのつまらなさを指摘したつもり。トムさんのこの部分についての「太陽はひとりぼっち」との関連付けは面白かったデス)。

トムさんは、ジャンル映画にしたことにメルヴィルの進化あるいは純化を感じたのでしょうが、僕はここまでジャンル映画然としていては単純な感想を惹起してしまうなあと思ったのですよ。
 作者がジャンル映画にすることにより芸術性を増したと思うのに対し、観客はジャンル映画になったことで安易な感想を洩らすようになる。メルヴィルと、ドロン本人やプロの批評家を含めた観客との間にこうした齟齬が生まれたのでしょう。そうなるとそれは失敗作と言われる。ヒッチコックの映画でも結構多いですよ、この手の齟齬が。

かく映画分析は難しく、故に映画分析は楽しい。
オカピー
2016/12/26 19:53
オカピーさん、こんばんは。
>幕切れにおける「サムライ」との類似性
「リスボン特急」の焼き直しは、オカピーさんの「サムライ」も古山敏幸氏の書評と同じご指摘でございます。さすがオカピーさんです。まあドヌーブの看護士も「影の軍隊」のシニョレですし・・・。
わたしは、シモンの自己抹殺をカティやコールマンへの影響に及ばせたことは「サムライ」のジェフからの螺旋状の進化とみております。上や下から見ると同じところを回っていますが横からみると上昇している(笑)。はっきり言ってファンの贔屓目ですが(笑)。しかし、確かにそれが見る側にうまく伝えられてない。螺旋状の「衰え」にみえるかもです。
>ジャンル映画にしたことにメルヴィルの進化あるいは純化を感じた・・・
確かにそうです。メルヴィルはアメリカのある年代を熱烈に信奉していたようですから、モデル・理想はアメリカ映画での「あるジャンル」にあったのでしょうね。ましてドロンは若いころからヴィスコンティ・クラスの作家に鍛えられ、ハリウッドの経験もしていた俳優ですから、エンタメ、芸術のどちらかへの徹底を望んでいたのだと思います。
全くおっしゃるとおりで齟齬ですよ。一言で言うとメルヴィルは贅沢過ぎたのでしょうね。この「リスボン特急」には自分の想いを全部盛り込もうとしていますから。
そして、試行錯誤の結果でもあったのでしょうから、メルヴィルは、もっと生きてその後どんな映画を撮ったかと思うと残念でなりませんよ。
では、また。
トム(Tom5k)
URL
2016/12/27 00:41
トムさん、こんにちは。

風邪っぴきで38度以上の熱があるです。冴えない頭で簡単にレス致します。

>螺旋状の進化とみております。
>上や下から見ると同じところを回っていますが横からみると上昇
なるほど。
これは僕のような単なるドロン好きにはなかなか至らない観点かもしれません。
まして僕は質より量で鑑賞した映画を俯瞰して語ることが多いから、とても無理ですね。

>メルヴィル
今の僕より若い55歳という死ですから、ちと早すぎましたね。
ヒッチコックが「裏窓」を作った時が55歳で、それ以降に傑作群が多いことを考えてみても、本当に惜しい気がします。
オカピー
2016/12/27 18:26

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