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zoom RSS 映画評「あの日のように抱きしめて」

<<   作成日時 : 2016/12/02 08:57   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2014年ドイツ映画 監督クリスティアン・ペッツォルト
ネタバレあり

東ベルリンから来た女」のクリスティアン・ペッツォルト監督=ニーナ・ホス主演コンビの戦後ドラマである。ドイツ人はなかなかホロコーストの悪夢から覚めない。

収容所から解放された元歌手ネリー(ニーナ・ホス)が友人の弁護士レネ(ニーナ・クンツェンドルフ)と共にベルリンに入って来る。彼女は顔面をひどく負傷しており再建手術を受ける。レネとしては彼女の少なからぬ財産をイスラエル建国に役立てたいという思いがあるが、レネが止めるのも聞かず、ネリーはアーリア系ドイツ人の夫ジョニー(ロナルト・ツェアハルト)を探し当てたいと町へ繰り出し、「フェニックス」(原題)という酒場で遂にピアニストの夫を発見する。
 彼は手術跡が残るアスターと名乗る彼女を妻に似ていると思うものの、妻は死んでいると確信している為疑わず、彼女の財産を手に入れたいのでアスター即ちネリーにネリーを演じてもらうことにする。

アルフレッド・ヒッチコック監督「めまい」(1958年)のヴァリエーションを狙ったものと見える。かの作品でも男に命じられて本人が本人を演じることになるわけだが、かの作品では男性側に愛情から発した倒錯的な心理が働いていたのに対し、本作では財産の所有欲が愛情を超えた結果男主人公をして、彼女が本人であることを示す様々な条件を無意識に排除せしめてしまう。「めまい」同様そうした潜在意識がなかなか面白いわけで、これに夫に気付いてほしいヒロインの愛情に立脚する心理が綾を成して興味が生まれる。

しかし、本人であること(アイデンティティー)に関する男女の意識が「めまい」とまるで逆で、本格サスペンス的には本人であることを否定している女が強制される「めまい」のパターンのほうが楽しめる。心理サスペンスの要素があるとは言えドラマ志向の本作にそれを求めるのは木に縁りて魚を求む愚であるが、設定のご都合主義的なところも手伝って面白くなりきれなかった。

一種のサスペンスとして優秀なのは幕切れで、ネリーがクルト・ヴァイルの名曲「スピーク・ロウ」を名調子で歌い、収容所の番号の入れ墨を何気なく見せることで本人であることを示し、財産を手に入れたい元夫(彼女は知らぬ間に離婚されていたのだ)の夢を砕いて、外へ出ていく(去っていく?)のである。
 ここで不満なことは、ジョニーが彼女の歌うシチュエーションについてどう予想していたか全く解らないこと。事前に歌を聞けば、そう思いたくないのが本心とはいえども、その時点でさすがに本人と確信せざるを得なかったであろう。プロの歌手という設定が功罪相半ばする感じになってい、ドラマとしての詰めの甘さを感じる次第。

ヒトラーの出現ですっかりダメになったドイツ映画が、半世紀後(1970年代後半)に復活してヒトラーをテーマに次々と映画を作っているのは皮肉と言うか、当然と言うか。

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「あの日のように抱きしめて」
「SPEAK LOW」…この曲だったんだ…。全編通して狂おしい程に響いてくるコントラバスの旋律の正体は。そこに全て繋がる、凄い、素晴らしいラスト。その余韻。見応えのある濃厚なサスペンスと哀しみの籠ったラブストーリー。第二次世界大戦終了直後、ユダヤ人収容所生活から永らえたものの、顔に修復のきかないほどの傷を負ったネリー(ニーナ・ホス)は、ユダヤ人活動家のレネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に助けられ、ドイツに戻って顔の整形手術を受ける。元の自分の顔に戻して欲しかったネリーだったが、それは叶わず、別人の... ...続きを見る
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