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zoom RSS 映画評「サヨナラの代わりに」

<<   作成日時 : 2016/12/14 10:08   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2014年アメリカ映画 監督ジョージ・C・ウルフ
ネタバレあり

何度も言ってきたように、死病・難病映画は一時に比べ上質になった。一番見られたであろう1970年代は何が何でも死なせて「可哀想ね」と紅涙を絞ろうとする低俗な作りの作品が大半だったが、近年は生きる姿で感銘を誘うという作りに移行し、好感が持てるようになっている。
 それでも映画としてはまだ不満が残るケースが大半であるが、本作はその域をも超えたような気がする。僕が観た難病映画の中でも最高品質である。しかし、日本ではご覧になった方が少ないらしく、映画ブログで感想が殆ど読めないのは情けない。

女性ピアニスト、ヒラリー・スワンクがALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、夫ジョシュ・デュアメルが甲斐甲斐しく世話する。彼女はその合間にまめまめしく働いていたらしい介護の女性を「病人扱いするから」と首にし、介護も家事も碌にできない歌手を目指す学生エミー・ロッサムを雇う。生活態度もなっていず、とにかくデタラメだが、話を聞いてくれそうなところが気に入って雇い続けるうちに、エミーはすっかり介護や家事に一人前になり、徐々に不明瞭になってきた彼女の言葉を通訳するようになる。そして、ヒラリーは自発的な呼吸が難しくなり、人工呼吸を付けるか否かの判断を良き友人となったエミーに託し、遂に自宅で彼女に抱かれて死んでいく。

涙もろいほうだから、勿論彼女の最後には目頭が熱くなった。見せ方が巧いせいもある。しかし、僕が最も気に入ったのは、彼女たちの信頼と友情が育まれていく様子とその内容である。観るに如(し)くはないので、一々それを披露するには及ぶまい。
 いつもまともに歌い切れないエミーがヒラリーの死後堂々と歌えるのは、彼女との日々の賜物であろう、とだけ言っておきたい。

最後の初恋」のジョージ・C・ウルフのタッチが素直なのがヨロシく、短い尺が仇になった印象のある前述作同様に本作も決して長くないものの、こちらはその長さが適当で実に気分よく観られる。熱演型のヒラリー・スワンクがいつも通り熱演。エミーも好調と言うべし。

かつて連続試合出場の記録を持っていた大リーガーのルー・ゲーリックが現役中にこの病を発病し、程なくして死んだ。子供時代にそれを知って皮肉なものだと思った。

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サヨナラの代わりに ★★★
ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し余命わずかとなった女性と、彼女に介護人として雇われた女子大生との交流を描く感動作。性格も境遇も全く違い、接点のない生活を送っていた二人の人生が交差し、深い絆で結ばれていくさまを、オスカー女優のヒラリー・スワンクと、『オペラ座の怪人』などのエミー・ロッサムが演じる。『最後の初恋』などのジョージ・C・ウルフが監督を務め、『トランスフォーマー』シリーズなどのジョシュ・デュアメルらが共演。 あらすじ:弁護士の夫エヴァン(ジョシュ・デュアメル)と理想的な日々を暮らしてい... ...続きを見る
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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
同じようなテーマから、「最強のふたり」と比較する映画ファンも多いと思います。

>涙もろいほうだから
シネマテークたかさきで鑑賞の折には、若い女性がみなハンカチを手に、場内が明るくなっても啜り泣きが聞こえていましたね・・。テレビのやらせ的な煽りや、感動の押し付け映画でも十分に泣かせるに足るでしょうが、こういう良作ならば、彼女たちをして、観終わった後の自身の心と改めて向き合わせてくれるのだろうと予想できる作品でした。

プロフェッサーの情緒の豊かさや細やかさは、ここ数年、毎日欠かさずブログを拝見しているぼくには、ある意味実際にお会いする以上によっく、わかっております・・(それを、文章ではあからさまに出さないところがプロフェッサーたる所以だとも)

 正直、ヒラリー・スワンクは、ジュリア・ロバーツと並んで、贔屓でない女優の筆頭格(笑)であり、2度目のオスカー像は盛りすぎ!と思ってさえいるのですが・・。
この作品では、流石の演技でした・・。

こういう死病ものは、あまり批判的なコメントを残しづらいのですが、あえて言えばエミー・ロッサムが歌手を目指す必然性はありませんでしたね・・。
音楽に絡めることで白眉だったのは、主役二人が手と指を重ねてピアノを連弾?するシーンでしょうね。
実利的な結び尽きてなく、パートナーとして心を通わせることが、患者の人間としての尊厳へとつながるのは自明です。

映画の原題がそっけなく、邦題のほうが印象的、というのはままありますが、この作品に関しては原題の「You're Not You」の方が相応しかったといえるでしょう・・。
「ボーイズ・ドント・クライ」以来の秀作
2016/12/14 23:54
失礼、記名を忘れてしまいました(笑)
浅野佑都
2016/12/15 00:02
浅野佑都さん、こんにちは。

表題を書く欄のあるブログもありますから、うっかりするとやってしまいますね。
コメントのテーマが解ったような気がします^^

>文章ではあからさまに出さない
そうですね、僕は映画に関しては「ツンデレ」ですから(笑)
使い方が合っているかどうか知りませんが・・・

>ヒラリー・スワンク
右に同じく。
もう少し丸みが欲しい(?)。
演技も熱演が多く、力の抜けた好演が好きな僕には余り合わない。上手いですけどね。
ジュリア・ロバーツも、容貌・演技のタイプ共に余り好みません。まあ、好き嫌いは少ないので、苦手という程ではないです。

>歌手を目指す必然性
そうですね。
エンド・ロールで歌っているところが披露されて、ヒラリーとの関連性を無駄にしないような作劇がされているとは言え、歌手を目指す設定の必要性は希薄。
音楽を通じて知り合うという設定ならしっくり来たのでしょうが、本作の場合は全くの他人から始まるところに意味がある。

>ピアノを連弾
ここは書こうかとも思いましたが、勿体ないので(?笑)、止めました。

>原題の「You're Not You」
これ、どういう風に訳したものか悩んでいます。

一般論として、日本人は、どうもタイトルをキャッチコピー的に捉える習慣があるようで、特に昨今はこういう琴線に触れるようとする邦題が多いですね。そのセンスが些かださいと、高級な映画ファンから非難されることになるのですが、それには大衆のレベルを上げる必要もあるのではないかと思います。
アメリカ人はタイトルにそういうものをきっと求めていないのではないかと思います。でなければ、味もそっけもないタイトルがあれほど溢れているわけがない(笑)
オカピー
2016/12/15 18:50

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