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zoom RSS 映画評「結婚哲学」

<<   作成日時 : 2016/10/05 10:43   >>

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☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1924年アメリカ映画 監督エルンスト・ルビッチ
ネタバレあり

かつて小津安二郎の「淑女は何を忘れたか」(1937年)の映画評において、作品名を伏せてエルンスト・ルビッチの影響を指摘したが、具体的に僕が思い出したのはこの傑作「結婚哲学」である。最後に夫婦が別々に寝室に向う小津には珍しい幕切れのあの映画のタッチは正に本作そのものと言っても良いのではないか。

ところで、本作は三十年くらい前に僕が初めて見たルビッチである。サイレント映画に傑作あまたあれど、面白さで本作に勝る作品はないと思うくらい気に入っている。

アメリカ映画なれど、原作通り舞台はウィーン。
 紳士アドルフ・マンジューは情熱的な妻マリー・プレヴォーを持て余して、妻の不品行を暴いて離婚してやろうと思っている。折しも彼女は親友フローレンス・ヴィダーからの手紙に誘われてその屋敷に遊びに行き、精神科医の夫モンテ・ブルーを誘惑しようとする。ブルーの同僚クレイトン・ヘイルはフローレンスに岡惚れしているが、その気のない彼女は自らのパーティーで若い美人に夫が気のありそうなのが不安。それがマリーには後押しとなり、彼女がブルーを追い出したのがヘイルに後押しとなる。
 さすがにうっかり屋のフローレンスも遂にヘイルに夫と親友マリーとの関係を知らされて怒り心頭に発するが、マリー自身が無実であることを夫への手紙で明かしていて一安心。マリーは仕方なく夫の許に帰っていくが、その途中で悄然としているヘイルを目撃して声を掛ける。

優れたシチュエーション・コメディーは嘘か誤解(もしくは気持ちのすれ違い)またはその両方により成るというのが僕の主張であるが、本作は多重の心理的すれ違いがすこぶる面白い状況を生み、その過程と結果において夫婦関係の機微が浮かび上がるという仕組み。

ブルーとフローレンスの夫婦において疑いが本格化することはない。その立脚するものは互いへの愛情にある。当初主役と思われたマンジューとマリーの夫妻は狂言回しで、実は主役であったこの夫婦を大いにかき回すが、愛情に支えられた夫婦関係を壊すに至らない。

三人の男性と二人の女性による五角関係ながら、狂言回し側の細君はゲーム感覚であり、その夫君が離婚が目的であるから、その五角関係は全く歪。この辺りは辛うじてビリー・ワイルダーが引き継いでいるくらいで、昨今のラブ・コメディーでこういう変則的なものは少ないような気がする。
 何より違うのが、本作の紆余曲折には全くの夾雑物がないこと。今にしてみるとありふれた内容という人がいるが、昨今のものは余分な要素でごまかしているものが多く、全く次元が違う。

ルビッチはワイルダーの師匠的存在らしく、名前のカードやショールといった小道具の扱いの上手いこと! 同じ人物構図のカットをオーヴァーラップを使わずにダイレクトに繋ぐマッチカットにもハッとした。先人がこうした洗練されたカットの繋ぎを次々と発明・開発していったことがよく解る時代の傑作である。

意外とドイツ、オーストリアには優れた艶笑戯曲が多い。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
夫婦関係というのはめんどくさいものです。
ねこのひげ
2016/10/10 08:15
ねこのひげさん、こんにちは。

自分だったら面倒くさいけれど、他人事だから楽しめるというコメディーでした。
これを陰鬱にやられたらたまらない(笑)
オカピー
2016/10/10 21:05

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