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zoom RSS 映画評「奇跡のひと マリーとマルグリット」

<<   作成日時 : 2016/07/07 10:05   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2014年フランス映画 監督ジャン=ピエール・アメリス
ネタバレあり

時代もヘレン・ケラーと同じく19世紀末に始まる、三重苦の少女マリー・ウルタンを何とか人間らしくしようと格闘する修道女マルグリットの人生を描くフランス版「奇跡の人」である。

フランスの田園地帯、貧しい農民ウルタン氏が娘マリー(アリアナ・リヴォワール)を連れて修道院を訪れる。三重苦の娘を育てるゆとりがないのであろう。しかし、ヘレン・ケラー同様野生児の彼女に誰も手を焼く。その中で自ら死病を抱えた修道女マルグリット(イザベル・カレ)が天啓に導かれたのか、彼女を懐け、言葉の存在を教えようと必死になる。

アーサー・ペン監督「奇跡の人」(1962年)のサリヴァン先生が中流階級の一家に招かれたのとは対照的な始まり方であるが、言葉の存在を認識させることを最大の目標とするのは二人の先生に共通する。差別でも何でもなく、言葉を知らない人は、哲学上の人間ではない。感じて認識したことを言葉で表現できるようになって初めて人間たりうる。さもなければ、物事を考えられないからである。

本作は「奇跡の人」における水の役目をナイフが果たす。ナイフと、ナイフという言葉の関係をマルグリットが教え込む様子を映画は長く時間を割く。その前の地面を蹴ることでブランコが動き出すのにマリーが気づく場面も悪くないが、マルグリットが涙ぐましい努力を積み重ねて描いた効果絶大で、やはり言葉の存在に気付くこの場面が断然感動的である。映画的な表現においてアーサー・ペンが抜群の感覚を発揮した「奇跡の人」に及ばないのは致し方あるまい。

ただ、どちらの作品も抽象概念をどうやって教えたか解らないのが不満。科学的興味を満たされないのである。

病んだ体を酷使してマリーの教育に勤しむマルグリットと、すっかり言葉を把握して天国にいるマルグリットに感謝の念を表現するマリーの姿は感銘を呼ぶ。
 と言いながら、少々ひねくれた中年親父としては二番煎じであると片づけてしまうのである。映画的表現に工夫する必要があったと言いたいわけであるが、内容に合った素直な演出そのものに文句を言う筋合いはなく、初めてこうしたお話に触れる方には十分以上にお勧めできる良作。

残念ながら、マリーはそれほど長生きできなかったらしい。そんな早くマルグリットに会いたかったのであろうか。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
どうしても超がつく有名な『奇跡の人』がありますからね。
ねこのひげ
2016/07/10 16:51
ねこのひげさん、こんにちは。

素直な作りで、もっと☆を上げたかったですが、僕のポリシーがそれを許しませんでした。だから、文章でフォロー^^
オカピー
2016/07/10 17:34

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