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zoom RSS 映画評「D坂の殺人事件」

<<   作成日時 : 2016/02/08 09:48   >>

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☆☆(4点/10点満点中)
2015年日本映画 監督・窪田将治
ネタバレあり

2015年は江戸川乱歩没後50年であった。で、2016年乱歩と谷崎潤一郎という巨匠の著作権が切れ、無償で読める可能性が広がった。が、TPPが正式に施行されると、それに合わせて日本でも著作権が作者の死後70年に延長される。
 それが大問題で、今後20年間は新規に著作権切れが出て来ない。しかも、これが過去に遡及することになると、武田麟太郎(1947年死亡)、太宰治(1948年死亡)以降の物故作家は再び無償で読むことが暫しできなくなる。最悪のケースでは、一番長いメキシコの死後100年が遡及的に適用されると、1916年に死んだ夏目漱石以降の物故作家が不可になる。
 僕はkindle本の購入には一円も掛けていない。有償でしか読めないものは、図書館で借りる。kindleは眠る前に薄暗い中で読む。こうしたことができなくなる。
 本当に問題なのは、これにより余り有名でない作者、作品が寧ろ不遇の扱いを受けることである。こうした作品はどこの図書館にもあるというわけではない。また、無償なら読むが有償なら敢えて読まない、という方も多いであろう。1%〜数%の作者・作品の為に残る大多数が犠牲になり、文化的なロスが非常に大きい。
 経済面から言ってもディズニーを有するアメリカが得するだけである。日本の漫画保護に恩恵があると言う人もいるが、50年前に死んだ日本の漫画家で延長された時きちんと印税の入るであろう著作権者はいるだろうか。現在活躍している作家は現状の50年でも2100年頃まで著作権は残る。50年でも長すぎるくらいなのに70年或いは100年とは。著作権は本来作者本人を守れば良いはずなので、子供や孫など関係ないと思うのですがね。

前置きが長くなったが、本作は、乱歩没後50年を記念して映画化された(であろう)作品である。

原作は、明智小五郎が初めて登場する小説であるが、まだ探偵ではない。本映画化ではその点を大いにいじって助手(大谷英子)のいる探偵に変え、また、尺を稼ぐために「屋根裏の散歩者」の主人公・郷田(河合龍之介)を主人公に起用している。
 他人の生活を屋根裏から覗く面白味に目覚めてしまった彼は、暇を持て余して出かけたD(だんご)坂近くにある古書店がエロ・グロに特化して本を売っていることに気付く。接客するのは、若い女将(祥子)である。
 彼女は蕎麦屋の主人(仁科貴)から変態的な関係を強要されている。やがてその蕎麦屋主人が縊死体で発見される。刑事(近藤芳正)は自殺と判断するが、通りがかった明智(草野康太)は不審に思い、助手(妻と説明しているところが多いが?)に色々調べさせる。
 彼らを狂言回しにして、映画は古書店主人(木下ほうか)の変態ぶりを徐々に浮かび上がらせる。細君が変態めいた不貞を働いているのを見て自慰に耽る始末である。

本作は乱歩の幾つかの作品を合体させているが、この場面は谷崎潤一郎の「鍵」から借用したのではないだろうか。本作の一場面で谷崎の名前が大きく映されるショットがあるのがそれを裏打ちしているように思う。但し、乱歩の作品にも同様のシチュエーションがあるのかもしれない。

耽美的な作品として淫靡を楽しむ分にはこれで良しとしたいが、僕はミステリーとして見ていたので大いにがっかりさせられた。原作のようなトリック崩しがなく、明智は心情面から犯人が推定できたと、事後に言うのみなのである。

もう一つ不満がある。時代考証の不徹底、これなり。原作の発表された大正時代と思わせるところがあるかと思えば、助手の服装やカメラなどあの時代のものとは考えにくいものも多い。
 時代考証の一部である言葉遣いも、例によって、デタラメ。初めて聞いた答えに対する「そうだったんですね」は平成に生まれた言い方だろう。最近まで「そうですか」が一般的だった。「不倫」も現在の意味で使うようになったのは割合最近で、戦前なら「不貞」であろう。
 時代考証についてはそう五月蠅く言う必要はないのだが、時代ムードをダメにする時代考証の不正確さには文句を言いたくなる。

二日続けての性倒錯もの。昨日の記事で述べたように、やはり日本の性倒錯は精神的なもの(=羞恥)が中心のようでござる。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
 >日本の性倒錯は精神的なもの(=羞恥)
谷崎などの作品でもそう感じますが、団鬼六!の小説を読んでいても、日本のエロティズムは言葉による刺激で性的な興奮を高めるのが本流なんでしょうね・・。
ぼくなど、門外漢としては、西洋の肉体の探求も深いものがあると思われ、精神と肉体のハイブリッドがよろしいかと(笑)

乱歩作品は、数多く映画化され、名作からゴミのようなものまであります、やり過ぎと思えるようなものも多いです。
乱歩の原作の雰囲気が、映画製作者をして過度に張り切らせてしまうのかもしれませんね・・。

>時代考証の不徹底
「そうだったんですね」・・「〜で、よろしかったでしょうか」と同じく、明らかに平成言葉ですね。
現代風を意識した作品でしたら許せるのでしょうが・・。
まあ、言葉遣いは、プロフェッサーの仰る通り、あまり気にしなくてよいのでしょうが、ハリウッド作品などは、自動車のモデルに関しても年代設定の正確さは確かです。
ぼくなど、コルベットやダッジ、ムスタングといった古いアメ車が好きなものですからハリウッド作品を見る楽しみの一つになっています。
比べて、邦画は芳しくないですね・・古い車ならいいのですが、70年代に80年代モデルの車が走ってるシーンなどをちょくちょく発見してしまう・・気づかなければいいのですが・・因果なこってす(笑)
浅野佑都
2016/02/08 12:50
浅野佑都さん、こんにちは。

日本人が汚いほうの下ネタをとりわけ好まないのは、羞恥の文化だからでしょうね。アメリカの大人はそれを笑えても日本人は笑えない。大袈裟に言えば、日本で汚いほうの下ネタに笑えるのは子供くらいなものでしょう^^

>肉体
精神的加虐に比べると、肉体への加虐は、乾いた感じが致しますね。
蚊も殺せない僕は遠慮申し上げます(笑)

>現代風を意識した
最近の時代劇にこの傾向は目立ちますね。
余りに露骨にやられると、ムードが現在になってしまい、白けてしまうのですが。

>自動車のモデル
確かに邦画はこれに関してはダメだなあ。
僕も子供時代から暫くは車が好きだったもので、気になる方ですね。
1970年代に作られた「金環蝕」も「不毛地帯」も、60年代初めの話なのに製作当時の車ばかりでした。監督をした山本薩夫が車に全く興味がなかったということもあるでしょうが、主人公が乗る車の一台や二台何とかしろと文句を言っています(笑)
オカピー
2016/02/08 17:12
まあ、自動車の年代が違うのは資金の問題でしょうね。
他の国から資金提供をしてもらって世界中で公開することを目指した方がより良い作品が出来そうな気がします。
ねこのひげ
2016/02/14 15:27
ねこのひげさん、こんにちは。

全般的にはそうかもしれませんが、僕の挙げた二作品はたかだか製作から十年前のお話なので、十年以上乗る人が相当数いることを考えれば、お金を大して掛けずにできたような気もします。
今あの時代の車を使うのは大変でしょうが。

>資金提供
合作が増えてきているとは言え、残念ながら日本映画界は内向きで、資金提供の声掛けにはなかなか乗り出さないですね。
オカピー
2016/02/14 19:31

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