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zoom RSS 映画評「おやすみなさいを言いたくて」

<<   作成日時 : 2016/01/14 09:51   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
2013年ノルウェー=アイルランド=スウェーデン合作映画 監督エリック・ポッペ
ネタバレあり

一昔前中東で捕えられた人質らに関し日本国内から非難が持ち上がった時にアメリカのパウエル国務長官が彼らを庇ったと聞いて恥ずかしく思った。国民より国を優先する全体主義者の彼らは国を論ずる時に「国民を助ける為に国はある」と言うのに、彼らの言う“国に迷惑を掛けた”人に対しては例外になるらしい。全体主義者の本音(国民は国のためにある)が出るのだ。昨年の事件でもまた同じようなことを言う輩がいた。
 少なくとも現在の政治家がこれを言ってはまずいわけで、米国人曰く「アメリカではこんな言論は起きない」と。まあそれも嘘で、個人主義大国アメリカにも全体主義者はいるだろう。そういう人は自分が交通事故を起こした時に救急車や警察のお世話にならないと良い。

話変わって、そうした人々が憎んでいる筈の戦場報道カメラマン、ジュリエット・ビノシュがカブールでの自爆テロ取材の後帰宅すると、夫ニコライ・コスター=ワルドーから“家で待たされる家族の恐怖”を説かれる。彼女とてそれは自覚してい、まだ幼い次女アドリアンナ・クラマー・カーティスはともかく、長女ローリー・キャニーがふさぎ込んでいるのを見るにつけ、辞めようと決心する。しかし、「安全である」と仕事を依頼され、発表会のテーマに沿うと主張する娘を率いてケニアの難民キャンプを訪問すると、安全なはずのキャンプで発砲事件が起き、それを知った夫との溝が決定的になる。ところが、発表会で長女は「(報道カメラマンの)母を必要としているのは、私より、難民たちです」と言う。かくして出版に備えて再びカブールに赴いたジュリエットは、長女と同じくらいの少女が爆弾を取り付けられるのを目にした時、シャッターを切ることができない。

というお話で、人類の為と信じる仕事と家族への愛情の間で揺れるヒロインの心情は、娘の理解を得て安定を見たように思われる。ところが、娘と同じ年頃の少女への自爆テロ強要を見れば、親としての感情が湧き上がる。プロローグでは被写体をあくまで対象として冷静に処理していたのと極めて対照的なエピローグで、人間である以上彼女は社会的義務感と個人的義務感との相克に多かれ少なかれ悩まされる続けるのだろう。絶対的な答えなど決してないテーマである。

恐らく殆どの戦場カメラマンが同じような葛藤を抱いて仕事をし続けている筈だが、昨今の脳科学的研究によれば、人間は他人の為に働くと幸福感を味わうように作られていると言われ、全体主義者の言うように偽善というわけでもないらしい。利他的な行為をする時脳に作用を起こし、心身両面の為になるのだと言う。とは言っても死をも顧みない(恐れないとは言えない)彼らには頭が下がる。

ノルウェーの監督エリック・ポッペは報道カメラマン出身と聞く。哲学的な印象はないが、テレンス・マリックのようなタッチを見せるところがある。

「情は人の為ならず」と昔から言っている。脳科学を先取りした諺であろうか?

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
情報を集めなければ世界の状況が日本にどんな影響を与えるかわからないと思うんですがね。
高みの見物で身勝手な意見を言っている人間が増えておりますね。
人の喜びが我が心の平安につながるなら良いことだと思います。
ねこのひげ
2016/01/17 14:58
ねこのひげさん、こんにちは。

彼らは平和主義のリベラルに対して「お花畑」と言っていますが、僕らはそういう彼らこそ実は自分の住んでいる世界を「お花畑」のように感じているのではないかと思いますね。原体験がない人がそういうことを言う。

本当に人のことを思っている人々はきっと長生きしますね。
オカピー
2016/01/17 20:17

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