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zoom RSS 映画評「ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して」

<<   作成日時 : 2015/12/23 10:03   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2013年フランス映画 監督アルノー・デプレシャン
ネタバレあり

第二次大戦後、従軍していたインディアンのジミー・ピカード(ベニチオ・デル・トロ)が目に光が散乱する異常を発症し、軍病院で見ても外傷的な異常が全く見られず、フランス人(実はルーマニア人)の精神分析医ジョルジュ・ドヴロー(マチュー・アマルリック)に診てもらうことになる。ドヴローは在野の研究家にすぎないが、フロイトの系譜を継ぐ夢による判断などで、彼の精神病的様相が従軍によるものではなく、母親に対するエディプス・コンプレックスであることを突き止める。
 彼との交流により心を開いていったジミーは、正式に結ばれる前に浮気した恋人が生み今は思春期になった実の娘に(母親が亡くなったと聞いて)「養子として迎えたい」と告げる。

昨日の「マルタのことづけ」同様実話の映画化であって、関心があるのは人間の関係性の織り成す化学変化であり、それを専ら観照する立場により綴っている(但し、セミ・ドキュメンタリー・タッチではない)。
 そういう映画に大衆映画的な「盛り上がり」や「感動」の有無を以って評価を下すのは“木によりて魚を求む”といい、作品の性格や狙いを全く把握できない人の言うことである。その時点で彼若しくは彼女は作品により“映画を見る目”を厳しく評価されているのである。

この映画に盛り上がりはないか? 淡々と作っているのは間違いないが、主人公ジミーの心の変化に注目していれば一概にそうとは言い切れないであろう。「感動」というのも涙を催させるものとは限らない。一人の無名の医師により母親への複雑な意識だけでなくアイデンティティの問題をも抱えるインディアン紳士が精神の落ち着きを得てきちんと娘と対峙できる時そこに「感動性」は内在する。作者がそういう表面的な感動を強要する作り方を拒否しているに過ぎない。作り方によってこの場面で涙を催させることもできるであろうが、それをしていないからと言って厳しい評価を下すことは(作品の性格によるものの)誤りである。

他方、かく言う僕も、アルノー・デプレシャンの見せ方が真面目すぎて面白味が薄く、もう少し深い情味を出す工夫やセンスを感じたかったので、現状では☆☆★しか付けられない。残念でした。

ジミーな映画が続いております。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
本当に地味な映画でありましたね。
もう少しテンポよくできないものかと思いました。
ねこのひげ
2015/12/27 16:26
ねこのひげさん、こんにちは。

地味なのは監督の志向だから我々がとやかく言うことではないですが、見せ方の工夫は必要だったかもしれませんねえ。
オカピー
2015/12/27 21:50

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