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zoom RSS 映画評「秋日和」

<<   作成日時 : 2015/12/17 10:24   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1960年日本映画 監督・小津安二郎
ネタバレあり

先月から今日(12月11日)あたりに観る予定だったので全く偶然だが、結果的に先日亡くなったと伝えられた原節子の追悼鑑賞になった。俳優としての偉業は高倉健に勝るとも劣らない方でありながら、50年以上の前に引退されているので追悼番組はNHK-BSが「東京物語」(1953年)を放映したのみ。仕方がないが些か寂しい。合掌。

さて、映画評というか映画論としては本作は、監督した小津安二郎を語るに尽きる。
 小津は、(対象の)相似、(語りの)反復、相似若しくは類似の反復を特徴としている。それはフィルモグラフィーにおいて相似・類似する作品が反復的に作られるという現象としても現われている。本作は、代表作中の代表作「晩春」(1949年)の事実上のリメイクである。但し、父親と娘の関係が母親と娘の関係に代わっている。

自分もかつて嫁いできた母親と彼女を迎えた父親とではその娘を嫁がせる心境は全然違う、母親はあっさりしていると一般的に言われる。尤も長い間シングルの親子で過ごしてきた場合と両親が揃っている場合とは多少違うであろうが、それにしても小津はその男女の違いにはほとんど関心がないようで、この母子関係は父子同様ひどくウェットである。ひとまずお話をば。

夫の七回忌を行った三輪秋子(原)は娘・アヤ子(司葉子)同席で、夫の学生時代の親友の三人即ち間宮(佐分利信)、平山(北竜二)、田口(中村伸郎)と談笑する。
 やがて、間宮がアヤ子に部下の後藤(佐田啓二)との縁談を持ってくる。母親を心配するアヤ子はその気がないことを一旦母親に告げながらも、会社の同僚(渡辺文雄)と学生時代の友人だった関係でこっそり後藤と交際を始める。しかし、結婚はまた別の問題であるとも言う。
 それでは母親が再婚すれば娘もその気になるだろうと三人組は暴走、唯一やもめである平山を候補に奉るが、それを一方的に父が死んで7年しか経っていないのに母親が黙って再婚しようとしているとアヤ子が誤解して母子の仲がこじれる。それをアヤ子から聞かされた友人・百合子(岡田茉莉子)が三人に猛抗議を行うが、真相を知って再婚話に頑張ろうとする。
 母親の再婚話とは関係なく娘は結婚を決意するが、母親はやはり再婚しないと言う。

「晩春」と違うのは、親子の周囲が勝手に騒ぐ様子を大々的に取り上げたことである。つまり劇の構成要素として三人の中年男性を狂言回しの位置に置いたわけだが、同時に、間宮・平山・田口という親族ではない家庭が並行して対比の形で扱われるのが小津の映画では非常に珍しく、注目しても良いだろう。
 この三人の男性の言動は、現在であれば、セクハラで大問題になるし、あの時代にしても高尚とは言いにくい感じであるが、「晩春」にはないユーモアを醸し出していて僕はかなり笑わせて貰い、以前観た時より相当楽しく観た。しかし、その前段の賑やかさが後を引きすぎるのか、結果的に最後に母親が味わう孤独感が「晩春」の父親ほど鮮やかに浮かび上がってこない憾みは残る。

さて、相似と反復について言いたいことはたくさんあるが、今回詳細は避けよう。一つ言っておきたいのは、相似が反復された時その二つの間に違いがあるとすれば、それは登場人物の環境若しくは心境が変わったシンボライズであるということである。一つだけ解りやすい例を挙げるならば、前半では岡田茉莉子と司葉子が自社のビルの上で並んで立っている。最後の方では司葉子の代わりに渡辺文雄が並んでいる。司葉子が結婚していなくなったのを端的に示しているわけである。
 かく一つのショットで鮮やかに変化を示すことができたのは小津をおいて他にないかもしれない。英国の評論家トム・ミルズが小津作品を俳句に譬えたというが、もしこうした一つのショットによる鮮やかな点出(ミニマルな表現)について譬えたのであれば僕は大いに同意する。季節感(の無さ)を理由に否定した蓮実重彦氏が間違っている。季節感について比較したのであれば、蓮実氏が正しいだろう。

アメリカ映画でシークエンスの繋ぎに挿入されるビル群のショットは、小津安二郎の廊下の模倣。僕がそれに気付いてまだたった(経った)数年です。また掛詞を使ってしまった。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
>季節感(の無さ)を理由に
そういう批評もあったのですね。小津は名前はよく知っているのですが白状すると自分ではそんなに見ていないのです。でも、テレビで観たものの印象で、セリフが独特な感じ、日常のようで非日常のような感じ、あれは星新一の小説を思い出させますね。日常の人の営みの核を抽出して表すとああなるかな、みたいな。
星新一も人間が描けていないと言われたりしたそうですが、私はそうは思わない。むしろ、人の営みの真相をよくとらえている。だけどそのせいで拒否感を覚える読者もいるかもしれない。結局こういうことですよね、と言われて、それが不愉快だという気分になることは誰にでもありますから。
nessko
URL
2015/12/17 13:36
nesskoさん、こんにちは。

同じ文言を二度繰り返すのは、実際の日本人特に一昔前の人は使ったものですが、小津作品の登場人物はそれを過剰に使うなど、本当に日常に似て非日常的ですね。
台詞も感情をこめさせない。
小津に馴染めない観客は、これを嫌う。
しかし、そうでない人々は、正にその非日常的にまでに抽出された日常の描写に、我々の生活の機微を見出すのですね。この境地が恐らく凄いのでしょう。
実際の生活は複雑怪奇で、小津映画のようにミニマルなものではない。しかし、行間ならぬ、俳句に譬えるならば文字の間に人間の機微を見出して感銘することになるのだと思います。

>星新一
ああ、そう言われれば同じような感じかもしれませんね。
僕も中学3年間は夢中になってほぼ読破したものですが、高校に進学したころから生意気になって離れました。
最近姉から聞いた話ですが、誰かさんが或いは本人だったか、自伝を読んで文章の巧さに驚いたというんです。

そういう先入観で読まなかったり、観なかったりするのは、勿体ないことですね。
オカピー
2015/12/17 20:30
『東京物語』も放映されるようですが、映画フアンと自称する人の中にも、小津安二郎を知らない人が増えた昨今でありますね。

ねこのひげ
2015/12/21 02:51
ねこのひげさん、こんにちは。

NHKは当初から今月4本小津作品を放映する予定でした。
結果的に「東京物語」は今月二回放映することに。

>小津安二郎を知らない人
今の映画ファンは、洒落ではないですが「今の映画」ファンなんですね。
知っていても観ない人も結構います。
情ないですよ。
オカピー
2015/12/21 18:54

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