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zoom RSS 映画評「にっぽん昆虫記」

<<   作成日時 : 2015/11/25 10:19   >>

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☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1963年日本映画 監督・今村昌平
ネタバレあり

【今村昌平】というテーマというかタグを設定をしているにも拘わらず、たった4本しか記事を書いていない。フェデリコ・フェリーニ同様、書きやすそうで、僕には書きにくい作家なのだ。そういう強迫観念があったせいか、夜中に「今日は『にっぽん昆虫記』を観よう」とふと思い、きちんと実行した。
 因みに、最初に観たのは自主上映にて。さらに数年後に始まったばかりのBS放送でも見ている。

大正7年に東北地方の小作農夫婦の下に生まれたとめ(左幸子)は、実は不倫の子である運命により、少し知恵の足りない父親(北村和夫)と近親相姦のような愛情関係で結びついている。
 戦時中女たちは彼をだましてとめを地主の家に嫁がせることに成功するが、出征する三男の子供を宿したとめは家に戻り娘の信子を出産、昭和20年再び勤め始めた製糸工場で組合員の係長と懇ろになったのが災いして解雇されると、昭和24年7歳になった娘を父に預けて上京、米兵の愛人(春川ますみ)宅で家政婦になるが、彼らの娘を死なせてしまい、その贖罪の為に入信した新興宗教で知り合ったのが売春宿の女将(北林谷栄)。
 やがて彼女を出し抜き仲間の娼婦たちを使ってコールガール組織を立ち上げるが、昭和34年内部通報により逮捕され、やがてやって来た娘の信子(吉村実子)に支援者のパパ(河津清三郎)を奪われてしまう。

日本ではかつて女性は清楚さを表徴するなでしこに譬えられたが、そんなのは全く嘘であって、日本の女性は昆虫のようにヴァイタリティーに溢れ簡単にへこたれはしない、と今村昌平が主張しているかのように、本作に出て来る女性たちは男性以上にしたたかで強い生命力に満ちた存在として描かれる。生きる為の本能として彼女らは性を最大限に生かすのである。

飢餓海峡」の好演も印象深い左幸子が抜群。その彼女が演じたヒロインの周囲で歴史が繰り返すのも面白い。父親とは別の男の子供として生まれたとめが母と同じことを繰り返し、その強い生命力を誇る血筋は娘の信子に引き継がれる。信子も誰の子かはっきりしない子供を宿す。或いは、とめが前の女将と全く同じ言動を取り、警察内で内通者とすれ違うところなども正に繰り返しなので我々観客としても思わずニヤニヤさせられてしまう。

また、敗戦、朝鮮戦争、皇太子ご成婚といった歴史上の事件が時代ごとの風俗・大衆文化の背景として盛り込まれ、興味を引くものがある。折に触れ彼女の読む歌(短歌というよりは狂歌ですかな)も哀れなばかりにバカバカしいながら、そこはかとなく庶民の哀感を生む。哀感の中にエネルギーがあるのも今村監督の境地であろう。

日本人は戦後大分品行方正になった(?)が、戦前の男女関係が特に田舎において奔放千万であったことは、僕の周囲が証明している。例えば、地主の家系に生まれた僕の祖父は四人兄弟であるが、四人の母親と父親の組合せが全て違う。また、叔父(父の弟)は母親がやはり違って僕の兄より若い。僕の幼馴染は叔父が大叔父でもある。彼の祖母は義父だけでなく近所の男と出来ていた・・・といった具合である。
 そうした奔放な性関係の一環で出て来る野趣が見事で、とめが血が繋がっていないとは言え父親に乳(父ではないですぞ)を飲ませるところなど圧巻、日本に今村昌平を除いて(お下劣ポルノを別にすれば)こんな描写ができる監督はいない。
 彼の代表作は粘っこく脂ぎって時にもたれるが、本作はユーモアとヴァイタリティに満ちていて見やすい為お気に入りで、個人的に日本映画歴代ベスト10を選ぶなら是非入れたい傑作。

今村監督の作品は「な行」で始まる題名が相対的に多く、「な行」で始まる単語が入る題名も少なくない。「粘っこさ」(これもな行で始まる単語ですな)と無関係ではない気がする。

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2015/11/25 13:46

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
10年越えの拙記事持参であります。(笑)

「男がさも君臨しているように見えるけれど
支えているのは、実のところ、女なのさ」・・・
今村作品に流れているのは全てこれですね。

それにしても大長編ドラマにでもなりそうな
プロフェッサーのその御係累の万華鏡・・・
エネルギーのある人間にドラマは生まれる、ですかな。
vivajiji
2015/11/25 14:11
vivajijiさん、こんにちは。

>女なのさ
わが日本では、特に、そういう考えが当たっているような気がします。
権利のなさと世の中を支え動かすというのは、また別なのかもしれませんね。

>大長編ドラマ
姉が嫁いだ家が、さらにその上をいく波乱万丈ぶりです。
両方を合わせたら大河ドラマになりそうですよ^^
しかし、わが家系でも草食系がブームで、少し心配・・・
オカピー
2015/11/25 21:11
オカピーさん、こんばんは。
この作品は日本映画の中で私の好きなベスト3に入る作品なのです。日本の戦後が生々しく象徴的に表現されていて、そこでしたたかに強く生き抜く女性の凄みから私は勇気づけられてしまうのです。
それにしても、ここに登場する人物は何と醜い人々ばかりなのでしょうか?このなりふり構わない必死の生き様が私には魅力的に映るのかもしれません。労組組合員の長門裕之、売春宿の女将の北林谷栄、新興宗教家の殿山泰司、零細経営者の河津清三郎・・・人間てこんなに醜いものなのでしょうか?欲たかりのくせにケチで小さい。しかしながら、これらの情けない人たちを私は何故か憎む事ができないのです。日本人として、私の中にこれらの性行が確かに存在するようにも思うからです。
同様の理由で三國連太郎さんも大好きな俳優なのですが、「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンなど、彼もそういった側面がある俳優のようにも思いますよ。
でも、これらは自らを鮮明にした生き方とも言えるわけで、そういう意味では美しいと感じることもできるかもしれませんね。
人間て複雑で奥深いですよね(笑)。
では、また。
トム(Tom5k)
URL
2015/11/26 22:45
トムさん、こんにちは。

>醜い
うーむ、ヘーゲル流に解釈すれば、社会に照らすとき欲望に拘る彼らの生き方は醜いのですが、彼らの欲望が社会の欲望と一致した時は美しくなり、美醜や善悪が転倒するのですな(笑)
トムさんが元気づけられるということは一見個人の好悪が関係しているようで、そこでは既に個人と日本社会との関係が規定されているのですな(笑)

と訳の分からないことを語りましたが、社会との関係において彼らの法的な或いは道徳的な悪行が醜いかどうかは案外定まらないことなのかもしれませんね。

>三國連太郎
「飢餓海峡」の三國連太郎と「太陽がいっぱい」のトムさん(笑)ことアラン・ドロンはほぼ同一人物でしょう。最後に捕まってしまうし。
この二人を単なる悪人としか見られない人物は、庶民的生活感情のない人ですね。
オカピー
2015/11/27 19:06
日本女性の力は生半可ではないと思いますよ。
なぜ財布を女性が握っているのかと外人さんたちは驚きますけどね。

『太陽がいっぱい』また放映されますね。
ねこのひげ
2015/11/29 08:55
ねこのひげさん、こんにちは。

戦前の日本映画を観ても、びっくりするくらいパワーがあります(特に都会)。
権利とか自由とかそういう部分だけでは語れないものがあるんですね。
オカピー
2015/11/29 19:59

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