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zoom RSS 映画評「儀式」

<<   作成日時 : 2014/01/27 10:13   >>

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☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1971年日本映画 監督・大島渚
ネタバレあり

登場人物の一部が眉なしで現れるのを記憶しているので観ている筈なのだが、内容については全く記憶がない。不思議ですなあ。「キネマ旬報」で1971年度ベスト1に輝いた大島渚監督作品である。

桜田満洲男という青年(河原崎健三)が親戚筋のほぼ同世代の女性・律子(賀来敦子)と共に、彼女の恋人でありこれまた親戚筋の輝道(中村敦夫)本人から「テルミチシス」という電報を受け取った為、遠路はるばる南の島にある彼の家に向かう。

そこから随時回想が挿入され、終戦直後満洲から先に日本に帰って自殺した満洲男の父親の一周忌から始まる。この一周忌で大体の人物関係が説明される。
 律子の母親・節子(小山明子)は祖父・一臣(佐藤慶)の養女であるが、肉体関係がある。祖母(乙羽信子)が独自に育てている輝道と、満洲男は従兄弟の関係だが、何人もいる祖父の子供の母親は全員違うらしい。
 続いて満洲男の母親の葬儀。戦前内務大臣だった祖父のお咎めが解かれた後の虚栄に満ちた葬儀である。母違いの叔父(小松方正)の結婚での集まりの後は、節子の謎の死を挟んで、律子と輝道との三角関係に敗れた満洲男自身の、花嫁が姿をくらましたのに形だけそのまま進められる屈辱的な結婚披露宴と続く。
 この直後祖母違いの従弟の一人(土屋清)の事故死があり、輝道が律子を置いて去るという事件がある。

輝道生死確認の旅という現在進行形の大枠も、一族が会うのはいつも法事や結婚という儀式の時のみであるという設定に準じ、徹底して形に拘っている。このように形式に拘るが故に映画は非常なる様式美を呈することになる。

佐藤慶、小山明子、賀来敦子の三人は眉を剃って登場する。特に女性二人は眉のある時もあり、この区別が何にあるのか現状では見当もつかない。しかるに、これも様式として強く印象に残る。

テーマに関しては、個人の尊厳が儀式という媒介を通し、封建的な父権主義という家のしきたりに飲み込まれてしまう時代錯誤的な歪みを戦後民主主義の時代にアイロニカルに、恐らく日本の戦後社会の見た目と違う実態を暗に示す形で描いているのではないかと思うが、こちらもはっきりしない。
 しかし、解らないなりに様式的な部分が面白く退屈しない。どちらかと言えば苦手な大島渚の作品の中では好きな部類である。

今、この映画の描いたような“家”(“家の制度”)は日本の社会から殆ど消えたように思うが、わが与党はどうもこの亡霊にしがみつきたいようである。僕は古風な人間だから、家制度にはメリットもあると思っている。だから、彼らの考えが解らないではない。しかし、強制されるのがどうも嫌である。空気のように存在しているべきであって、法律で規定するようなものではないだろう。

一部横溝正史的部分あり。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ねこのひげも眉毛のないのは覚えてましたがストーリーは覚えてなかったですね。
江戸時代なんかはこれにお歯黒なんて使っていて、あれを見て美しいとか色っぽいと思ったのかと思うと不思議ですね〜
美的センスも時代と場所によって変わるということで・・・(~_~;)
ねこのひげ
2014/01/28 01:54
ねこのひげさん、こんにちは。

眉毛のないのは、封建主義の象徴かもしれませんが、小山明子などは最初なくて、次に出てきたときはあり、次にはまたなくなっている。
何なんでしょう?

>お歯黒
眉なしとお歯黒では、現代人の美的感覚ではのけぞりますね。
「幕末」という作品で、眉なし、お歯黒の吉永小百合を見ましたが、さすがにがっかりでした^^;

西洋でも小太りの女性がもてはやされた時代もありますから、本当に面白いものです。
オカピー
2014/01/28 19:54

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