プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画評「きっと ここが帰る場所」

<<   作成日時 : 2013/09/17 10:05   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 9

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2011年イタリア=フランス=アイルランド合作映画 監督パオロ・ソレンティーノ
ネタバレあり

ミック・ジャガーが共演を望むほどのロック界のスターだったショーン・ペンは、その陰鬱な歌詞により若者二人を自殺に追い込んだ事件が呪縛となってかなり前に引退、その時代に稼いだ大金と恐らく今でも入って来る印税を資金運用して、消防士の妻フランシス・マクドーマンドと豪邸で半隠遁生活を送る日々。
 ある時、三十年前にヴィジュアル系ロックを目指したことで縁を切られた父親の危篤の報を受けて現在住んでいるダブリンからアメリカを目指すが、船旅であった為に最期に間に合わない。しかし、ユダヤ人収容所からの生還者であった父親が元SS隊員をずっと追いかけていたことを知ると、父親に代って男を探し出し復讐を果たす気になる。

一言で言えば、主人公が父親に代って復讐をする目的を実行する為にアメリカを横断するうちに色々な人々と接触することで、ゴシック・ファッションの下に隠し内面に溜めこんでいた子供っぽい陰鬱(彼の時に繰り出す子供っぽい悪戯を見よ)を解放し、自然な社会人として再生するというお話で、イタリア人監督パオロ・ソレンティーノの進行ぶりはガス=ヴァン・サントとウェス・アンダースンを足して割ってもう少し親しみやすくしたような独自の浮遊感があって軽妙。近年の収穫と言うべし。

ただ、説明を省略し過ぎて人物関係が解りにくく、結果的にお話全体に解りにくい部分が出ているところがある。
 例えば、彼が素顔になって現れる幕切れである。その場所は、若い女友達メアリー(イヴ・ヒューソン)の母親(オルウェル・フエレ)の家の前のようだ。彼女は三年前に行方不明になった息子の“トニー”を探している。するとシャイアンと呼ばれているショーン・ペンがトニーなのではないかという気がしてくる。そうなるとメアリーは妹であるが、それにしては年が違いすぎる。母親とメアリーは違う時空の人物のような雰囲気さえ漂う。基本的にはそういう幻想性を感じさせないタッチなので考えすぎだろうが、それを完全に否定する具体性を欠いている。逆に、一種の“少年期脱却”の寓話であるとすれば、この人物関係は解りにくいままのほうがふさわしい。

“きっと”の後に半スペースあり。日本語(タイトル)では本来スペースはほぼピリオドに等しいのだが、最近原則を無視してスペースを用いる邦題が増えている。気になりますなあ。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
きっと ここが帰る場所
公式サイト。イタリア=フランス=アイルランド。原題:This Must Be the Place。パオロ・ソレンティーノ監督、ショーン・ペン、フランシス・マクドーマンド、ジャド・ハーシュ、イヴ・ヒュ ... ...続きを見る
佐藤秀の徒然幻視録
2013/09/17 11:16

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
まあ、わかりにくくして観客に考えさせようとしているのかもしれませんね。

スペース・・・・なんとなく気にはなりますが、言葉というのは時代と共に変化するということで・・・・・
わかってやっているとは思えないけど・・・・
ねこのひげ
2013/09/18 02:34
ねこのひげさん、こんにちは。

両義的に作って、観客に考えさせる映画が近年増えていますね。
大衆映画では余りやってほしくない手法なんですが。
本作は大衆映画とは言いにくいので、まあ許せる感じでしょうか。

>言葉
「ら抜き」言葉を問題にする人が多いですが、あれはかなり合理的なので、古い日本語が好きな僕でも、まあ良いと思っています。僕自身は解っている範囲では使いませんが。
しかし、「行けることができる」という具合に可能がダブっているのを聞くと、“なんじゃこりゃ”ということになりますが。

それより、問題はイントネーションの問題、半疑問ですね。
これはひどい。合理性が全くない。逆に、聞き手が相手の意図を考えなくてならないし、「聞いてください」と強要している気がして不愉快になります。

表記の問題としては、明治時代は色々試行錯誤があったようで、例えば今「アラン・ドロン」という表記に落ち着いていますが、明治時代の古い小説を読むと「アラン、ドロン」といった表記が多い。今、こう書かれるとアランとドロンという二人がいるように思えます。こういうのは文章家の努力の結果ですね。
オカピー
2013/09/18 22:07
食べれるなど、ら抜きが、可能に特化しているのなら、おっしゃるとおり極めて合理的だと思います。
それ以外は、ら付きにするとか・・。ただ、聞いていて美しくないのは事実ですけどね!
それに若者は、必要もないのに無理やり、れるをくっつけてしまう場合もあって、見苦しいのですね(笑)
浅野祐都
2013/09/19 08:44
浅野祐都さん、こんにちは。

>可能
実際ほぼそうなっていると思いますね。
僕が生まれてから聞いた限りでは、尊敬・受動の意味で使う人は、殆どいなかったであります^^
動詞によって「る」「らる」のどちらを付けるかは基本を知らないと容易でなく、僕らは親が使っているのを聞いて憶え、それが大体文法的に合っていたということなんですね。
従って、仰る通り可能に限って使うのであれば余り目くじらを立てなくても良い、という主旨であります。

>必要もないのに
ままありますね^^;
言葉への意識が低くて困ります。
きちんとした言葉がなければ考えを伝えることもできないのだから、もう少し正しい言葉に対して意識を高く持ってほしいものです。
オカピー
2013/09/19 20:06
映画と無関係ですみません!
>イントネーションの問題、半疑問

これは、(私って)じゃないですか?症候群、と捉えてかまわないでしょうか。

ただ、コーヒーが好きなんです、と言えばよいところを、強調する意図もないのに結果的に相手に同意を得させる、みたいな・・。
ぼくはいつも、「そうなの?」と答えていますが、暖簾に腕押しです(笑い)
浅野祐都
2013/09/19 20:49
浅野祐都さん、こんにちは。

>半疑問
ああ、そちらと捉えたのですね^^
現在、半疑問と言われているのにはどうも二通りあるようでして、
一つは浅野さんご指摘の、半疑問質問型とでもいうべきもの。
こちらは、違和感を覚える人が多いらしくてそれほど普及していないので、僕は聞くとうんざりしますが、大騒ぎしておりません(笑)。

問題は、タモリが名付け親とも言われている方の半疑問で、人によって色々タイプがあるのですが、節や句で呼吸を置く時にイントネーションを上げるやつです。
1980年代の終わりくらいに初めて聞いた時は、この人は使っている言葉に自信がなくて、人にお伺いを立てるような話し方をしているのかなと思ったものです。実際難しい四字熟語や横文字の時に使っていました。ある人によると、聞いている人に理解できますか、という意味をこめて使う人もいるとか(半信半疑)。

続きます。
オカピー
2013/09/19 21:54
TVの影響大で、一日ごとにこの話し方をする人が増え、数年前に気付いたのは、この話し方には人に相槌を打たせる効果があること。僕はこの話し方が大嫌いなので、敢えて相槌を打たないこともあるのですが、親しい人ですとなかなかそうもいかないことがあって対応が難しい。
こちらは多分便利と思って使う人が多くなったのだと思いますが、全然便利ではありません。野球の解説で「いまのスイング? いいですねえ」などと言われると、「あんた専門家だろ、アナ氏に聞くんじゃないよ」と思ってしまう。実際には自信がないはずがないのですが、そう思われても仕方がないわけです。
実際本当に自信がなくて使っている人や場合もあるわけで、こうなると聞いている方がどういうつもりなのかその都度判断する必要に迫られる。この話し方が流行る合理性などどこにもないのですが、最初の例に比べると違和感を感じる人が少ないのでしょう、凄い勢いで増殖中です。
有名人の中には、昔使っていたのに、今は殆ど使わないなあと感心させられるケースもありますが、例外中の例外。
疑問形は疑問で使わないとそのうちわけの解らないことになってしまうでしょう。
しかし、今のところ識者が誰もこれを問題にしない。ら抜き言葉や諺の誤解よりこちらのほうが大問題でしょうに。

浅野さん、いかが思われます?
オカピー
2013/09/19 21:55
なるほど、そちらの方でしたら、ぼくも大いに疑問というか、嫌ですね(笑)。

確かに、その言葉を発するのが、今の自分に相応しくないような上等な言葉に?を付けて半疑問にする、というのが傍目からは面白く、可愛いらしく写るのか、お笑いタレントなどを筆頭に急速に蔓延してきた印象が強いです。

こういうことを書くと怒られますが、七部三部の割合で、女性に多い。それも、メディアのコメンテーターなどの、一応、知的職業者といわれる人にむしろ多いようです。(あれでは、解説を聞いてる視聴者の方が不安になるのでは・・)
よく批判の対称になる女子アナなどは、さすがに上司の教育が行き届いているのか、アナという黒子に徹しているからか、そういう喋り方はあまり耳にしませんね。



浅野祐都
2013/09/20 19:17
浅野祐都さん、こんにちは。

>お笑いタレント
普及の背景にはそういう部分もあったかもしれませんね。

>女性に多い
特に一般人にはその傾向が強いように感じられます。

恐らく、女性のほうがPTAとか育成会とか、私的な立場で色々接する機会が多いからではないでしょうかねえ。ビジネスマンが公的な立場ではそう露骨に使えない話し方と思いますから。最近はあらゆる職業の方が使っていますので、もうそういう時期を過ぎたかもしれませんが。

>知的職業者
医者、大学教授、経済評論家などにも多くなってきました。
聞いていて不安になります^^

>女子アナ
極めて私的な立場で語ることが限られているからでしょうね。
しかし、クイズ番組で自分が答える問題を選ぶ時に「7番?」という言い方をするベテラン女子アナ(現役?)がいます。
これなどは正解を答える自信がないことがはっきり表れていますが、正解を答える自信と問題を選ぶ態度とは本来別のはず。ここまで至ると半疑問シンドロームは相当深刻と思います。入社試験の時にこんな言い方をすればまず合格しないでしょうね。
オカピー
2013/09/21 18:55

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
映画評「きっと ここが帰る場所」 プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる