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zoom RSS 映画評「沓掛時次郎」

<<   作成日時 : 2013/08/08 10:34   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
1961年日本映画 監督・池広一夫
ネタバレあり

長谷川伸の股旅ものの中でも「瞼の母」と並んで人気の高い戯曲の7度目の映画化で、この数年後にもう一度作られている。しかし、1960年後半以降は、時代が急激に変った為に映画が扱うことはなく、TVドラマとアニメがあるだけである。四月に観た「ドライヴ」は正に現代アメリカ版「沓掛時次郎」でしたなあ。

凄腕の任侠・沓掛時次郎(市川雷蔵)は一宿一飯の義理から、見も知らぬ三蔵(島田竜三)に一太刀を浴びせ、殺さずに解放するも、直後依頼主の助五郎(須賀不二男)の一派が逐電する三蔵を殺す。そこへ通りがかった時次郎は助五郎の彼の細君おきぬ(新珠三千代)への横恋慕が殺害理由だったと知って怒り心頭、一味に手ひどい目に遭わせて去ると、一足早く逃げていたおきぬと息子・太郎吉(青木しげる)に援助の手を差し伸べ、熊谷宿の宿屋桔梗屋に身を寄せる。
 時次郎は二人の為に任侠から足を洗い門付(かどづけ)に収入の道を求めるが、同地の貸元(志村喬)から助っ人を依頼されると、助っ人料を暮しの足しにしようと一時的に任侠に戻り、引き受ける。

記憶違いであれば申し訳ないが、確か原作では時次郎は三蔵を斬り殺している。本作では、最初から時次郎を人情の人と描こうという意図か、一太刀加えただけで解放する。のっけからひどくヒューマニスティックである。結果的に三蔵は死ぬから同じかもしれないものの、殺したが故の主人公の改心という流れの方が、或いは、殺した相手の妻と息子の為に甲斐甲斐しく働くことが任侠に嫌気のさしたらしい時次郎の新たな生きるモチヴェーションとなった方が観客の胸を打つように思うのである。本作の改編では単なる善行と理解されかねない。

題材はさすがに古めかしいが、池広一夫監督と市川雷蔵主演のコンビであるからなかなかスマートでスピーディ、映像(撮影監督・宮川一夫)はシャープである。後年の「眠狂四郎」シリーズに比べると凡庸に映っても、厩での火事シークエンスなど、同じ時代の水準的東映時代劇よりは鮮やかな描写が多く、退屈させない。

幕切れは「シェーン」(1953年)と同工異曲。さすがに「沓掛」が「シェーン」に影響を与えたとは思わないながら、逆輸入のような印象をもたらしていて大変興味深い。

国民性だの、民族性だのと色々騒ぎますが、「シェーン」や「ドライヴ」を見ると、人間ちゅうのは案外変わらないもののようです。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
まあ、遺伝的には白人も有色人種も何ら変わらないですからね。
人間とゴリラでも遺伝子一個分の差しかないそうで・・・・
基本的な部分では同じなんでしょうね。
古い映画の方が素直に作られているようですな。
ねこのひげ
2013/08/13 03:17
ねこのひげさん、こんにちは。

その一方、言葉の語順が思想に与える影響というものもありそうですね。
時間があったら研究したいところです。

昔の映画はストレートで良いですよお。
当時の凡作は、今のちょっとした佳作より好きです。
オカピー
2013/08/13 22:13

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