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zoom RSS 映画評「あの日 あの時 愛の記憶」

<<   作成日時 : 2013/08/06 14:08   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2011年ドイツ映画 監督アンナ・ジャスティス
ネタバレあり

シドニー・ルメットの傑作「質屋」(1964年)は第二次大戦中ドイツで愛する妻子を失い、その後ニューヨークに渡って質屋になった男の心理をフラッシュバックを交えて描いていたが、本作も同じようにニューヨークに暮らす初老婦人ハンナ(ダグマー・マンツェル)が忘れられない過去に縛られている様子を綴ったドラマである。
 こちらは過去の描写がかなり多いので作り方は「質屋」とは大分違うし、厳しさでも程遠いものの、映画的にはなかなか魅力的と言える。

1976年、インテリの夫や娘と幸せに暮らすユダヤ女性ハンナはクリーニング屋の店頭で船戦時中に死んだと思っていたポーランド人の恋人トマシュ(マテウス・ダミエッキ)がTVでインタビューに応じているのを見て、赤十字に彼について調査を依頼する。
 1944年、若き彼女(アリス・ドワイヤー)はアウシュヴィッツ収容所でポーランド人政治犯トマシュと知り合い、ナチス将校に偽装した彼と共に脱走する。トマシュは彼女を実家に置いて反ナチ活動に従事し、彼女は反ユダヤ主義の彼の母親(スザンヌ・ロタール)に裏切られそうになって、彼の義姉マグダレーナ(ヨアンナ・クリーグ)の家に身を寄せるが、ここにも家を接収された母親がやって来る。マグダレーナと夫(トマシュの兄)がソ連軍に連行されると彼女は家を後にし、瀕死のところを赤十字に救われる。
 再び1976年、ハンナは遂にトマシュの居場所を突き止め電話で話す。こそこそと動き回っていた彼女は夫と喧嘩するに至るが、夫君は「逢うのが良い」と送り出す。彼女にとってそれは過去の呪縛から解き放たれる行為である。

話術的には心許ないところがある。例えば、彼女がクリーニング店で二回引換券を忘れる行為を見せる(彼女の可笑しな言動に対する家族の反応も同じように描かれる)。少しだけ違うことに意味があるのかと考えていたら、どうも彼女が忘れっぽさを表現したものらしい。その意味するところは、恐らく、過去の出来事を忘れられないこととの対照である。脱走場面でも僕は少し混乱したが、こちらの頭に問題がないとは言い切れないまでも、責任の一端は上記の描写における些かの不手際にあると思わざるを得ない。
 展開が進むに連れてそうした疑問は解けていくので最終理解に問題はないが、通常の観客は一回しか見られない以上、やはりその時点ですっきり観られることが肝要であると考える。

内容的には反ナチ活動を行なっている兄夫婦がナチスと対立するソ連軍にシベリアまで連行される辺りが当事国以外に住んでいる大衆には解りにくい。確かにポーランドはナチスにもソ連にも蹂躙された国であり、反ソ的国内軍に彼らが加味しているとは言え、やはり解りにくい。
 似たような状況でも、ユダヤ人がドイツ人だけでなく旧教徒のポーランド人からも差別されるのはよく解る。かのマルティン・ルターは聖書から引用してユダヤ人を激しく攻撃する文章をものしていてナチスに悪用された。新教徒旧教徒を問わず、キリスト教徒にとって大昔からユダヤ人は憎むべき民族なのだ。しかし、「ソハの地下水道」で描かれたように、一般庶民の多くは、きっとキリストや聖母マリアがユダヤ人であることを知らないのである。知っていれば多少対応が変っていたかもしれないとロマンティストの僕は思ったりもする。

いずれにしても、過去と並行して描かれて来た現在の彼女は遂にトマシュ即ち“過去”に逢いに行く。映画は二人が数十メートルの距離を置いて黙ったまま見つめ合うところで終わる。
 この幕切れが実に素晴らしかった。この後恐らく彼女は少し話すか何かして米国へ戻るだろう。本作は民族の悲劇を織り交ぜた異色の恋愛映画とみなすことができるが、紆余曲折の末に再び結ばれるといったメロドラマではなく、自分と過去を乗り越える女性の心情を描く心理ドラマなのだと思う。

ああ、そはかの人か?

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
これがハリウッド映画だったら、幕切れはああはならないでしょうね。
どうしても確認したかったという心情がよく出ておりました。

キリスト教徒にしろ他の宗教徒にしろ盲目的に信じすぎですな。
洗脳されているということなんでしょうけどね。
ねこのひげ
2013/08/07 02:32
ねこのひげさん、こんにちは。

>盲目的に
宗教というのは多分にそういう側面があり、それだからこその宗教なんでしょうが、宗教の他を排斥する部分が僕は嫌いです。
イデオロギーについても全く同じで、何事にも絶対的に真であるものはないと考えられる以上、特に自分より大きな存在については、疑ってかかったほうが良いと思いますね。
オカピー
2013/08/07 10:39

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