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zoom RSS 映画評「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」

<<   作成日時 : 2013/07/16 09:47   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2006年フランス=ルクセンブルク=ベルギー合作映画 監督イラン・デュラン・コーエン
ネタバレあり

実存主義の哲学者・作家のジャン=ポール・サルトルは、高校時代に戯曲「アルトナの幽閉者」を読んで以来興味を持ちつつなかなか読めないできた。最近は“街の図書館”(地元の貧弱な図書館を“山の図書館”と称しているのに対し、人口5倍強の隣町の図書館及び県立図書館をこう呼ぶ)で借りて来た古い書物を読み漁るのが映画鑑賞より面白いくらいなので、近いうちに代表的哲学書「存在と無」、小説「嘔吐」「自由への道」、戯曲「悪魔と神」「汚れた手」のうち一つか二つ読むつもりである。彼の伴侶(内妻)となったシモーヌ・ボーヴォワールも「第二の性」だけは何とか読もうと思う。

自分のことはさておいて、日本では劇場公開されたフランスのテレビ映画である本作のお話に参りましょう。

1928年、ソルボンヌ大学で23歳のサルトル(ロラン・ドイチェ)と20歳のボーヴォワール(アナ・ムグラリス)とが知り合って意気投合、哲学教員試験に夫々1位と2位の成績で通った後、契約結婚をする。二十世紀の思想家らしく進歩的な恋愛観・結婚観を持つ二人は、ボーヴォワールの教え子との同性愛に代表されるように奔放な性愛生活を送るが、窮極的な精神の拠り所は最初の相手であり、75歳で他界したサルトルに遅れること6年、ボーヴォワールは同じ墓所に眠ることになる。

というお話は、実質的にボーヴォワールが主人公である以外は正に邦題通りの内容でござる。所謂所有欲に基づく嫉妬などには互いに無縁であったように綴られ、「愛していれば嫉妬するはず」(ボーヴォワールのアメリカ人の愛人ネルスン・アルグレン)といった通俗的発想を越えた愛情関係にあったことは容易に理解できる。
 一方、サルトルの契約結婚が彼に都合の良い男性本位の利己主義的立場から起案され、彼女がそれについて反論をしているのが二人の関係の実態であり、彼女のフェミニズムに火を付けたという側面もあるだろう。

しかし、事象を繋げただけであるような展開はぶつ切り的で至って平凡、半端なままで終わっている挿話が目立つ。比較的重点的に描いているように見えた戦時中の出来事もきちんと収拾させずに、戦後女性を解放したと言われるボーヴォワールの代表的著作「第二の性」出版騒動へと移ってしまい、全く物足りない。実際には挿話がきちんと完結しているところも同じように感じられるのは、描写が所謂“字足らず”だからである。

スケーターの安藤選手騒動から推測するに、日本人の家族・結婚観は戦前と大して変っていまへんな。どちらかと言えば僕もそうだけど、日本人というのは因循なんだねえ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
江戸時代ごろまでは、父親のいないのをあまり気にしなかったという話がありますがね。
明治以降、キリスト教的考えが入るようになってから、色々とうるさくなったようで・・・・
ねこのひげ
2013/07/17 02:41
ねこのひげさん、こんにちは。

社会というのは面白いものですねえ。
 今、そのキリスト教のフランスでは、およそ半数が法的婚姻をせずに子供をもうけていますし、スポーツ選手や芸能人の父親知らずの子供を産んだとしてちょっとした話題になっても批判的態度になる筈もないですし、まして未婚の母親自体が白眼視されることは全くないでしょう。
 宗教的にあれだけ古臭いアメリカでも同性結婚ができるようになりましたし。

日本の民法は100年くらい遅れていると言われていますね。僕には関係なさそうですが(笑)。
オカピー
2013/07/17 21:14

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