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zoom RSS 映画評「愛のあしおと」

<<   作成日時 : 2013/04/26 13:53   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
2011年フランス=イギリス=チェコ合作映画 監督クリストフ・オノレ
ネタバレあり

エメランスの扉」の前にWOWOWが全国の映画館数館で無料上映した後TV放映するという形式を取った企画の第一弾。最初の放映の時は無視したが、カトリーヌ・ドヌーヴとキアラ・マストロヤンニの母娘共演があり、しかもリュディヴィーヌ・サニエが出るという興味で観たものの、残念な出来映えと言うべし。

1962年のフランス、自分の勤める靴屋から盗んだ靴を試しているのをマドレーヌ(リュディヴィーヌ)が売春婦と勘違いされたのをきっかけにこれを副業とし、チェコからの医学留学生ヤロミル(ラシャ・ブコヴィッチ)と懇ろにになって結局結婚してチェコに移り住むが、娘ヴェラを設けた後夫は浮気癖を発揮、折しも始まったソ連の侵攻に恐れをなして娘を連れ帰国する。

ナンシー・シナトラの「にくい貴方」These Boots Are Made for Walking(原題でないとこの曲が使われる意味が解らない)のフランス語版に乗って、若きカトリーヌが主演した「シェルブールの雨傘」(1963年)の傘の代わりに靴が活躍する開巻直後は好調。ここで「雨傘」を引用したのは本作が明らかに同作を意識したレシタティヴ調の歌を随所に挿入するミュージカル仕立てであるからである。
 さらに、偶然間違えられたことから娼婦になってしまうのはジャン=リュック・ゴダール第四作「女と男のいる舗道」(1962年)と同じ始まり方。足の撮り方はフランソワ・トリュフォーのような感覚に溢れていることからも解るように、クリストフ・オノレ監督がヌーヴェル・ヴァーグにオマージュを捧げているのは間違いない。

娘が思春期になる1978年のシークエンスを挟んで、いよいよ1997年から2001年三十代半ばになったヴェラ(キアラ)が不惑前に大いに恋愛に苦悩する本番に入って行くが、この辺りから恋愛を必要以上にややこしく扱うフランス映画の悪い癖が出て来て大分うんざりさせられる。口論が中心でないのが救いと言ったら言い過ぎか。

彼女が好きになったのがミュージシャンのアメリカ人ヘンダーソン(ポール・シュレイダー)で、2001年にアメリカへ行ってみるという辺りは母親の経験とダブらせて多少興味深いが、彼女がゲイにしてHIV陽性の彼との将来に悲観したのか、薬で自殺してしまうのは唐突すぎてびっくり。一応理由らしきものを書いたものの、実際のところは全く解らない。2001年9月11日という設定も恐らくソ連侵攻との相似形として利用したのだろうが、殆ど意味を成さず。

最後は老いたマドレーヌ(カトリーヌ)が娘を愛したただ一人の男性クレマン(ルイ・ガレル)と若き時代に利用したアパートを訪れ、回想に耽り憂愁に沈む。この終盤では現在と過去が同じフレームで処理されるトランジション・ショットを用いるも、イングマル・ベルイマンの「野いちご」(1957年)ほど鮮やかな効果を発揮していない。

内容には1970年代後半以降の面倒くさいフランス恋愛映画のフォーマットを使い、テクニカルな部分では歴史的な映画の技術を色々と用いたと解釈したくなるが、その技術を生かすだけの作劇の力量がなかったという印象に終わる。意欲空転と言ったところ。

キアラが父親のマルチェロに益々そっくりになってきた。

かかとの取れてしまったハイヒールの如し。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
”かかとのとれたハンヒール”言い得て妙ですね。
まさにその通りの出来栄えで・・・・
もうすこしなんとか・・・・
でありました。
ねこのひげ
2013/04/28 05:59
ねこのひげさん、こんにちは。

序盤からマドレーヌが若い頃までは、ヌーヴェルヴァーグ映画を観ているようで、それなりに楽しめたのですが。
後半は面倒臭い映画になりました。
オカピー
2013/04/28 19:36

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