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zoom RSS 映画評「果てなき路」

<<   作成日時 : 2013/04/22 11:24   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2010年アメリカ映画 監督モンテ・ヘルマン
ネタバレあり

モンテ・ヘルマンが21年ぶりに映画を撮ったと聞いて狂喜乱舞するのは映画マニア中のマニアであろう。どこかで聞いたことがあると思って調べてみたら、若い頃観てちょっと“面白い”と思ったニューシネマのカルト作「断絶」(1971年)の監督であった。結局ヘルマンの監督作で観たのはこれ一本、思い出せないはずである。

この作品も結構異色で、殆ど全編が劇中劇で構成されている。つまりは、一見その劇中劇が本作「果てなき路」そのもののように見えるし、実際その劇中劇の中で撮影されている映画のタイトルが「果てなき路」なのである。つまり劇中劇が実話をベースにしている映画化のお話を扱っているから、そう見えないだけで最低でも三重の入れ子構造と言って良い内容となっている。

劇中劇の中での幾つかの場面を撮影か現実か曖昧にして、次第にテイラー・シリング扮するキューバ女性ヴェルマと彼女を演ずるローレルとを一体化させていき、我々を映画という幻想の世界へ誘(いざな)う。

些か狙いが解りにくいのに何となく楽しめてしまうのは、劇中劇中の監督ミッチェル・へイヴン(タイ・ルニャン)が名作として誉める作品として「レディ・イヴ」(1941年)「ミツバチのささやき」(1971年)「第七の封印」(1956年)が出て来るからであろう。いずれも僕のお気入りの作品だから、脚本を書いたスティーヴン・ケイドス若しくは監督ヘルマンが好きなのにちがいないと想像するだに非常に楽しい。それぞれの作品が恐らく作品内容と密接に関係しているはずだが、それを分析するのは一回の鑑賞では不可能である。

劇中劇の監督が語っていることから類推するに、映画は映画監督の夢であり、作者たちが映画とは観客を夢や幻想の世界に誘うものであると表白した作品であるというのが僕の解釈であります。アルゼンチン映画の傑作「瞳の奥の秘密」に類似する作と言っていいと思うが、こちらは一人合点的で観客の理解に任せた感がありすぎて誉めるには問題がある。

映画の為の映画というのが最近多いですなあ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
作り方にも流行りというのがあるんですかね〜
いま公開されている『アンナ・カレニーナ』という映画も劇のような作りだそうです。
ねこのひげ
2013/04/24 02:49
ねこのひげさん、こんにちは。

志の低い人は、売れた映画の真似をして儲けようといった下種な考えで作るので、傾向ができるのでしょうが、一方でそういったものとは対照的なのに似た傾向のものができるのは何か気運があるのでしょう。僕は、映画への危機感であると思います。

>『アンナ・カレニーナ』
これも不思議なもので、ニューシネマ以前はとにかく映画を芝居臭さから遠ざけようと映画作家は工夫を重ねたものですが、リアリズムが当たり前になると、今度は反動が起きるのでしょうかねえ^^
オカピー
2013/04/24 20:51

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