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zoom RSS 映画評「善魔」

<<   作成日時 : 2009/10/21 13:52   >>

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☆☆★(5点/10点満点中)
1951年日本映画 監督・木下恵介
ネタバレあり

岸田国士の同名小説を木下恵介が映像化し、三國連太郎が役名を芸名としてデビューした作品。

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若い新聞記者の三國が、社会部部長の森雅之の命令により、大物官吏である千田是也の妻・淡島千景の家出についてしぶしぶ取材することになり、長野原に住む彼女の父親・笠智衆を訪ねて病弱な妹娘・桂木洋子の案内で、夫の金権主義に我慢ならず親友の家に身を寄せる彼女を発見する。
 これを契機に新人記者は妹娘と恋に落ち、彼の働きで姉は離婚することに成功、部長は十年前に思慕を寄せていた彼女とやり直す為に腐れ縁の舞台女優・小林トシ子を冷たく捨て去る。死んだ後なのに妹娘との結婚を宣言する善の塊である三國はそんな上司の態度を激しく非難する。

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木下恵介作品としては感心できない。作品の性格が非常に曖昧だからである。僕がない頭を捻って整理した物語を読めば純然たる恋愛映画のように感じられる筈だし、原作はいざ知らず映画版はロマンスが半ば眼目だったのだろうが、その一方で主人公の善良ぶりを強調するスタンスも色濃い。

恋愛映画の中にそうした態度があっても勿論構わないが、終盤に至るまでなかなか狙いが把握できないので観ていて些か落ち着かない。これが問題の第一。
 まさかドストエフスキーの「白痴」を意識したのではあるまいが、三國連太郎演ずる三國連太郎(笑)は純粋なのに、描写が直球的すぎる為に素直に受け止めることを妨げる。これが問題の第二。
 当時の観客が求めている大衆性の中に原作者の打ち出す純文学性を入れようとしたことが恐らくこうした齟齬感に繋がったと思われる。

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いずれにしても、記者を姉のところに案内してきたはずの妹が「どうしてここが解ったの?」と姉に問われて「彼が教えてくれたんです」と答えたり、危篤の恋人の病床に一刻も早く駆け付けたい筈の主人公と上司が寄り道をして千田を問い詰めるなど、ストーリー展開に首を傾げたくなるところもあり、無理にこしらえたお話という感じが強い。

役者としての三國もデビュー作がこんなに大役では無理もないが、力み過ぎて呂律が怪しく、些か荷が重そうだ。

イタリアにこの映画が似合いそうな役者がいる。ジュリアーノ・ゼンマ(笑)。

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コメント(4件)

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貴記事の最後、太文字の1行で
私、頭の“ゼンマイ”が切れそうでした。(爆笑)

北海道弁で失礼します。
「ゴッチャらめいてなんだか取りどこね〜話っこ」
でございました上にやたら早口の三國氏でありまして。
ところどころ
何言ってるもんだか聞き取れないこと甚だし。

同年製作の崇高度高い「白痴」の彼と
本作の森雅之。別人みたい。
凄い俳優ですね〜。(^ ^)
vivajiji
URL
2009/10/21 14:28
vivajijiさん、コメント有難うございます。

いつも最後にズッコケさせるようにしております。(笑)

北海道弁の部分ですが、要はごちゃごちゃととりとめない話といったところでしょうか?
いずれにしても、性格がはっきりしない作品という僕と似た印象をお受けになったようで、何よりです。(爆)

三國氏、随分早口で、後年のイメージとは大分違いましたねえ。
本当に聞き取れないところがありました。^^;

>森雅之
凄いですねえ。前にも申しました(?)ように、ご贔屓です。^^
どちらかと言えば、本作のジャーナリストが、森氏が多く演じたタイプのキャラクターですね。
オカピー
2009/10/22 01:31
映画デビューの時の三國連太郎を観ましょうとそれだけの関心で観ていた私にはこの作品自体は こんなものかと思いながら観ていたので評価対象外(笑)。
ただ作品内容は別にして、「善魔」って言葉そのものには興味が惹かれましたね。遠藤周作なども新聞や自書でも論じているみたい。
映画はテーマが未消化でしたね。時代背景からみたらこれだけでも十分通用したし、一つの問題提起でもあったんだろうなって気もしますけどね。
しかし、三國連太郎って長身でこの顔だったんだから目だったでしょうね。
シュエット
2009/10/23 13:19
シュエットさん、こんばんは。

思うに、1951年では我が国において純文学的な作品は作れなかったですよ。
そういう時代にはどうしても妥協的な作品になるわけで、その意味で、木下監督には余り責任がないとは思いますね。

シュエットさんには得るところがあったようで、僕としても名優・三国連太郎の最初の姿が観られたし、こういう「白痴」的な日本映画があったのかとも思えて興味深く、観て損はなかったわけでして。

三国連太郎は本作では拙いところが出ている一方で、早くもスケールの大きさを感じさせていますね。
オカピー
2009/10/24 01:06

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