プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]

アクセスカウンタ

zoom RSS 映画評「親鸞 白い道」

<<   作成日時 : 2009/10/20 13:55   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5

☆☆★(5点/10点満点中)
1987年日本映画 監督・三國連太郎
ネタバレあり

俳優・三國連太郎が原作・共同脚本・監督・出演を兼ねた野心作。

昨年9月から本年9月まで東京新聞に掲載された五木寛之の「親鸞」は親鸞が念仏弾圧の為に京都から越後に放逐されるところで終ったので、その後から始まる本作は親鸞初心者に丁度良いと思って見続けた・・・のだが些か問題あり。

画像

1214年、赦免された善信(後の親鸞=森山潤久)は遠流先の越後を出て布教の為に東国へ向う。最初に行き着いた上野(こうずけ=現在の群馬県)は住民が赤貧を極め、折しも疫病流行中で子供が次々と死んでいくが、当地では原始的な祈祷以外は認められず、善信も末の子供を失う。死後の扱いを巡って妻・恵信(大楠道代、映画の中では“あさ”と呼ばれている)とは意見の相違を見、それでも常陸(ひたち)へと流れていく。

というのが前半のお話だが、エピソードの扱いがぶつ切り的で、お話の流れがよく解らず情緒的なうねりを形成していかない。要領を得ないと言ったほうが近い。

画像

1219年の鎌倉幕府三代将軍源実朝の暗殺を機に親鸞の新たな苦闘が始まる様子を描く後半は、親鸞に関してある程度の知識を必要とする史劇的な作り方になっていて、人物の相関図が解らずに苦労させられた。歴史的人物を描いた作品ではそういうこともままあるものの、本作は一般ファンに些か不親切すぎる。故に親鸞の人物や業績についても、せいぜい権威主義に走らず地に足を付けて専修(せんじゅ)念仏を広めていこうとしたというのが形式的に解るくらい。

但し、ロケをした部分の景観の美しさに加えて、幾つか構図の良いショットがあるので、映画としてはその辺りが見どころになるだろう。

親鸞の有難味も半分くらい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
>俳優・三國連太郎が原作・共同脚本・監督・出演を兼ねた野心作。
とあるけれど、俳優が監督出演作って、どうかすると思いが先走って自己満足的な映像に仕上がっているのって多いから、いかがなものかと録画したけど未見です。(やっぱりな!)
やっぱり三國連太郎って「飢餓海峡」や「神々の深き欲望」「復讐するは我にあり」など、人間の業だの原罪などに切り込んだこうした作品群で役者として彼を堪能したいわ。
彼もなかなかに論客みたいだから、やっぱり自分でメガホン撮りたいところもあるんでしょうね。(ちなみに三國連太郎ってAB型だって…笑)
そこへ行くとクリント・イーストウッドって観る側の視線で映画を撮れる人だし、娯楽としての映画という芸術を知っている人だなって思いますね。
最新作「グラン・トリノ」観た後、彼主演の監督作「許されざる者」それから「ミスティック・リバー」またまたDVD引っ張り出して観たけど映画つくりが上手いですよねぇ。
シュエット
2009/10/23 13:41
シュエットさん、こんばんは。

親鸞の生涯をよく知っている方なら素直に楽しめる可能性もありますが、僕のような初心者には作り方が不親切のように思えたというが第一点。

それとは別に、流れが乏しいという印象があるのが第二点。つまり、シーンやシークェンスが次のものに繋がっていかないところが、特に前半に多くて、ちょっと舌足らずかなと感じましたよ。

>三国
僕も役者としての凄みを堪能したいですね。(オウム返しですみません)

>イーストウッド
商業映画というものをよく知って娯楽性と芸術性との間のバランスを考えて映画を作っていますね。
レッドフォードのほうが好みには合うけれど、一般的な評価はイーストウッドが高いのは仕方がないです。

>娯楽としての映画という芸術
これは良い表現ですね。
僕は、映画を語る時に議論になる【娯楽か芸術か】というスタンスで映画を語るのは四半世紀以上も前に止めましたよ。
映画において【娯楽】と【芸術】は全く対立軸とは思えないわけで、【娯楽性】と【純文学性】もしくは【ジャーナリズム性】が対立する性質ではないか、と。

僕の考えでは【純文学性】や【ジャーナリズム性】を保ちながら娯楽映画たることは十分できる一方、【純文学性】や【ジャーナリズム性】のみを捉えて作ったり評価したりすることは、以前にも述べたように、映画の存在価値を貶めるだけであって一利もないはずです。
オカピー
2009/10/24 01:35
最後の部分がちょっと不十分と思われるので追記。

というのも【純文学性】や【ジャーナリズム性】には其々を専門とするメディアがあるからですが、映画を映画たらしめるのは勿論映像若しくは映像表現であって、いかに作者の訴えたい内容をうまく映像で表現しているかが映画の価値を決めると思うわけです(当然と言えば当然ですが、プロの批評家の中にもこのスタンスを取れていない人は多いですね)。

従って、一般的に芸術は技術ではないと言いますが、色々な芸術の要素を併せ持つ映画においては「技術こそ芸術」と思うわけです。
大衆性と芸術性という概念が矛盾しないのが、映画というメディアなのではないでしょうか。

世間で芸術映画と言われるのは、実は純文学的な映画ですよね。
芸術映画は、アンダーグラウンド以外では存在していないでしょう。つまり全編真っ黒だったり真っ青だったり、こういうのこそ【芸術映画】と言うのであって、それは一般の映画館ではかかりませんから。
オカピー
2009/10/24 09:49
オカピーさん、こんばんは。
用心棒さんが、わたしのリクエストに応えてくれて、久しぶりの黒澤批評をアップしてくれました。オカピーさんもお訪ねしてみては・・・。
わたしは北海道の作家、原田康子さんがご逝去され、五所平之助の「挽歌」を観ていました。若い頃に観た「殺人者」や「満月」も懐かしく思い出し、再見したいなと思っています。
さて、「親鸞」ですが、
>一般ファンに些か不親切すぎる・・・
わたしもオカピーさんと同様、(これも若い頃)劇場鑑賞してるんですけれどがっかりした記憶があります。
でも、原作は凄いですよ。三国連太郎さんは、本当に凄いインテリです。
わたしは母方が浄土真宗ですから、親鸞が貧農のために悪人正機を説いたことは、今の荒んだ時代に必要な考え方かもしれません。
三国は、そこのところを描きたかったのに描き切れなかったんだと思います。それにしても、映画監督として才能が発揮できなかったのは何故でしょうね。
では、また。
トム(by Tom5k)
URL
2009/10/24 21:56
トムさん、こんばんは。

>用心棒さん
ちょうど並行してコメントがありましたので、訪ねて参りました。
例によって読みごたえのある記事でした。

>原田康子さん
僕は小説の「挽歌」しか読んだことがない、それも大昔のことなので大きなことは言えないわけです。
五所さんの映画版は観たいですね。
新聞で訃報を聞いて、「挽歌」を読んだ中学時代を思い出してセンチメンタルになりました。もう一回あの時代をやり直したいですねえ。

>原作は凄い
映画には色々と制約があって難しいですよね。
その中でも、映画は一度始まったら止まってくれない、というのは大きいです。
ビデオなら巻き戻しもできますが、映画は連続性の中で考えるべきものですから、それは本質的に邪道ですし。

>悪人正機
よくは解りませんが、人間が自分が弱い(愚か)、悪いものと知るのが肝要というわけですね。
僕なんか映画は常日頃そういうものとして観ています。だから、描き方にもよりますけど、自我の強い人間を観ても非難はできない気分で観ることが多いです。
オカピー
2009/10/25 01:29

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
映画評「親鸞 白い道」 プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる