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zoom RSS 映画評「善き人のためのソナタ」

<<   作成日時 : 2007/12/08 15:48   >>

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☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2006年ドイツ映画 監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
ネタバレあり

2006年度のアカデミー外国語映画賞を受賞したドイツ映画であるが、アカデミー会員の今回の選択は全く正しいと思わせる傑作である。しかも、これは長い名前の新人監督の映画大学卒業作品というのだから、【端倪すべからざる才能】とは彼の為にある言葉と言いたい。

東西の壁が崩れる5年前の東ドイツ、劇作家セバスチャン・コッホと恋人である有名女優マルティナ・ゲディックの監視を始めた国家保安省の指導教官ウルリッヒ・ミューエは、盗聴器を仕掛けた彼の部屋から聞こえてくる二人の会話や愛情交換風景に心理の変調を来し、東独が断トツに多い自殺数を公表しない国家であるとの告発記事を執筆するコッホの行為にも目もつぶるが、麻薬で逮捕されたマルティナのコッホを密告したことにより手紙分別係に左遷させられてしまう。

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というのが梗概であるが、アウトラインだけでは何も伝わらないので、もう少し細かく行きましょう。

雑誌のストーリー紹介などでは、任務に忠実であるはずの彼の変節の原因が「善き人のためのソナタ」の演奏を聴いたことのように書かれているが、そんな単純なものではないだろう。
 最初に彼の心を動かしたのは芸術家二人の細やかな愛情交換であり、マルティナに手を出す大臣や立身出世しか考えない上司の不真面目な態度である。

画像

そうした閉塞感の中、全てに誠実な余り一人浮かび上がりコールガールを呼んで孤独を解消するしかない彼が、実は国家のことなど真面目に考えもしない上司たちと芸術に生きる男女のどちらを選ぶかで悩んでロープの上をふらふら歩いているところに吹く一陣の風がブレヒトの詩集であり、ソナタであったのである。彼を変節させたのは彼自身の誠実さだと思う。

コッホは党上層部を利用して女優の地位を保とうとする彼女に同情しながらも批判し、か弱き女性がそうせざるを得ない現状を告発により打破していきたいと望む。それに同調するのは他ならぬミューエで、酒場で偶然出会った女優に「元のあなたはもっと輝いていた(政治を利用する前に戻れ)」と指摘、ハッとさせられた彼女はその足でコッホの許に戻る。

画像

これが全員の順風満帆の将来を約束するはずだったが、大臣が心を許さない女優の芸術的抹殺を決め逮捕に向かわせたことから、自分の将来を顧みず劇作家の有罪を決める証拠を隠滅した指導教官の努力は無に帰してしまう。恋人を破滅させたと思い込んだマルティナが車の前に飛び出して死んでしまうのである。
 自分の行動から悲劇が生じたことにやりきれない思いを抱いたであろう劇作家と同じように、力が及ばなかった指導教官の悲しみはいかばかりであったか想像するだに胸がつまる。

そうした彼の一連の心理がペースを乱さない観照的な描写のうちに綴られ、感嘆の上に感嘆を重ねるのみ。終盤の展開に感動を覚えるのもやはりこの前段で指導教官の心理が過不足なく描かれているからである。
 東西統一後指導教官の善意を知った作家が彼について著した本を彼自身が「僕の為の本だ」といって清々しい表情で買う幕切れには感極まる。
 僕にはドイツ語が解らないので正確なところは分らないが、「僕の為の本だ」の本来の意味は「包装しますか」という質問に対する答えであるから「僕自身が読む本だ」の意味のはずである。それを「僕のことを書いた本だ」と理解するのは鑑賞者が背景を知っているからで、このシンプルな台詞にも含みがあり大いに気に入った。

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告発ものとして密告社会の恐怖を味わうこともできるが、サスペンスより映像への心理の沈潜を軸とした描き方を見れば、思いようによっては滑稽千万に映る密告社会の告発よりも人間性の普遍にこそ作者の思いがあるはずであり、それが我々の胸を打つのである。

先般惜しくも亡くなってしまったというミューエは圧倒的な好演。

監督の名前は長くて舌が回りませんが、監督の演出に舌足らずのところはありません。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
こちらも高得点ざますわね。^^

奥歯にさっき食べたスルメの足がひっかかっているような
拙記事、遠慮なく(笑)お持ちいたしました。

あまりにもサクサク行き過ぎて、“ああ〜、もっとそこは
粘って演出して欲しいなぁ〜”とか、“あら?もう次の展開?”
っとか思いながら私は観てましたが・・・。

俳優たちの演技には文句のつけようがないくらい
素晴らしかったです!

ところで
「悪魔の眼」、ちゃ〜〜〜んと録画されておりましたよし。
購入してまだ使い方をキチンと把握できておりませんのよ。
(--)^^
でもね、プロフェッサー、「悪魔の眼」ね、ベルイマン自身、
大嫌いな作品なんですって!(笑)
さっき観たんですけど、この作品、私は、大〜好き!^^♪
viva jiji
URL
2007/12/08 17:08
viva jijiさん

最初は☆4つにしようと思ったのですけど、感情的にぐっと来たこともあって★を足しました。
一番ぐっと来たのが、主人公が事故で倒れた彼女に話しかけた後ですね。彼はあそこで感情を出さずに立ち去る必要があったわけで、その内心を想像するとね。寧ろ思い切り涙を出せた劇作家の方が楽だったでしょう。

>悪魔の眼
おおっ、それは良かったです〜。
なかなかワサビのきいた面白いコメディでしたよね?
結構忘れておりますが。^^;
聞くところによるとベルイマン32本連続放送とか。凄いですね。
オカピー
2007/12/09 02:16
TBありがとう。
長ったらしい名前の監督ですが
>【端倪すべからざる才能】とは彼の為にある言葉と言いたい。
そのとおりですね。
主人公は、有能で忠実な「官吏」であったからこそ、本質的なところで、疑問が湧いてきて、ソナタやブレヒトは、その揺れる心理を、少し後押しするんですね。
kimion20002000
URL
2007/12/10 17:09
オカピー様
TB有り難うございました.
と思っているのですが,TB通知が届いたものの,blogにはTBが反映されていません.はてどうしたのかしらと首を捻っております.

ところでこの映画は感動いたしました.
党と官僚の胸くその悪くなるような腐敗(よそ事とは思えませんが)に対し,ひたすら国家と党に忠誠を尽くすヴィースラーの行動.

冷え冷えとしたこの状況の淡々とした描写が,いかにも映画らしくて好きでした.

またお邪魔いたします.
ほんやら堂
URL
2007/12/10 21:14
kimion20002000さん、こんばんは。

全くその通りですね。
彼自身も一介の官吏ですから、何のはずみで劇作家と同じ立場に追い込まれるかも解らないわけですし。
彼の書く報告書も次第に文学的になってきますし、部下の書いた報告書もなかなか気がきいていたのも、「なるほどね」と思わせました。
オカピー
2007/12/11 02:15
ほんやら堂さん、こんばんは。

>TB
可笑しな現象ですね。
もう一度トライしてみましたが、如何でしょうか。

>党と官僚
正に、我が国の官僚も相当腐ってますよね。
厚生年金問題やC型肝炎問題を見るとはらわたが煮えくり返ります。
個人的には外務省の役人にもひどい目に合されましたが。

>淡々とした描写
押し付けがましいのよりやはり内から湧き出る感銘の方が良いですね。
オカピー
2007/12/11 02:21
>ロープの上をふらふら歩いているところに吹く一陣の風がブレヒトの詩集であり、ソナタであったのである。彼を変節させたのは彼自身の誠実さだと思う。
とっても的確な表現に唸ってしまいました。
>ぐっと来たのは主人公が事故で倒れた彼女に話しかけた後。
ここも同じく!(^^)
シュタージを描いたという点でもかなり重要な作品ですよね。
なぜだか、「暗殺の森」や「ラスト・エンペラー」を思い出してしまいました。
しゅぺる&こぼる
URL
2008/01/08 20:23
しゅべる&こぼるさん、こんばんは。

恐れ入ります。^^
「ロープ云々」は観ている時から感じていました。
どちらか言いますと、書きやすい作品でした。

>シュタージ
共産国は多かれ少なかれ監視社会、密告社会なのでしょうね。
その意味で僕は「華氏451」を思い出しました。今思えばあの作品は現在の恐怖を描いていたということになるようです。

>「暗殺の森」
あの作品の主人公は全く逆に不誠実ですが、ウェットなムードが似ているような気がしますね。^^
オカピー
2008/01/09 02:41
昨日WOWOWで放映されていて3度目の感傷です。観るほどにこの作品の静謐で抑えた演出が胸に沁みてきます。
3度目でちょっと思い入りすぎてますが。
記事にも書いているけれど、監督は33歳。彼がまだ8歳位の頃。ドイツでこうして自国の歴史の暗部を、過去のものとせず自分達の世代のこととして真摯に受け止めてこうした作品を製作している。まだまだ傷跡が残っているという現実もあるのでしょうが、その精神にも感銘します。歴史に敏感に反応するという意識は同じ敗戦国でありながら、ドイツにこういう若者がいるということに意識の落差を感じます。TBもってきました。
シュエット
2008/04/18 23:57
シュエットさん、こんばんは!

20代、30代で傑作を作った人も少なからずいますが、この作品は内容が重いのに見事に抑制して作ったものだなと感心させられますね。

日本人が旧悪を正視できないのは、ヒトラー/ナチスのような突然変異的な絶対悪とでも言える存在がないからでしょう。今のドイツ人にはヒトラーは我々とは別世界の人種で「我々は騙されたのだ」と素直に思い込めるところがある。実際にはそれも欺瞞で、「ヒトラー 最後の12日間」を見ればその辺りが見えてきますよね。
東ドイツも消えたので、やはり単なる対象として観ることができる。そして彼らには既に自国の疾しさを考える土壌が出来ていますね。

日本人だってやろうと思えが出来るでしょうが、与党が旧悪を奇麗事で飾ろうとしている現状を見れば、作りにくいのは確かです。
完全に過去を清算できないうちに右傾化が進んでいますね。過去を認めなければ、遅かれ早かれ「いつか来た道」を繰り返すに違いないと思ってしまいます。悲観論的かもしれませんが。
オカピー
2008/04/19 18:49
記事に反応してちょっと。
ちょっと新聞にも劇場公開をめぐる記事をみかけるのですが、在日の中国人監督が撮った「YASUKUNI」彼らからみた靖国とはどうなのかと、ニュートラルな目で観にいこうと思っているのですが、一部上映を見送った劇場などは、この作品に対する議員の右よりの発言といった圧力にもよるようです。大阪では5月中旬に公開です。以前、新書で中国人からみた靖国をテーマにして本を読みましたが、それについてどうこうより、感じるのは歴史に対し彼らは敏感だということ。韓流ブームの時、韓国の一人の主婦が日本人は歴史を知らないから嫌いだって発言していた。意識落差感じる。
シュエット
2008/04/20 14:44
シュエットさん、こんばんは!

新聞を賑わしたあの議員は、思想も芸術が分っちゃあいないんです。
思想的に偏った部分があるですと。
そもそも芸術は自分を表現すること。中立なんてあり得ません。
あるいは「偏っている」とは何でしょうか?
自分の意見と違えば「偏っている」わけで、彼女のように極右の人にとっては中立でも極左に見えるでしょう。
つまり、思想も芸術も解っていないんです。

また別の議員が出演者にプレッシャーをかけたものだから、今度は「映像をカットしてくれ」と本人が言い出してしまいました。
これを事後にやられたらドキュメンタリーは作れなくなります。

映画館が上映を止めたのは、直接的には右翼活動家の妨害を恐れたからですね。しかし、それも議員の発言がきっかけになって観る前から批判しているわけで話になりません。
しかし、その反動で「絶対やる」という映画館も出てきました。日本はまだ自由主義の国です。

一方、「戦争は嫌だ」と言っただけで中国や韓国を引き合いに出し「お前みたいな左は」と言う、狭量な人間が跋扈する国でもあるんですね。
オカピー
2008/04/20 22:55
私も10点を上げたいくらい大変素晴らしい映画です。

最後のセリフですが、店員が「ギフト用に包みますか?」と尋ねて、これに対して、英語で言えば、「No, this is for me(ドイツ語ですと、Nein, das ist fur mich)」と答えていて、「これは私のためのものです/私にあてたものです」とも訳せる言葉。

劇作家の恋人は死んでしまったけれど、主人公が20年間に及ぶ秘密警察での仕事とひょっとしたら命すらかけて劇作家と恋人を守ろうとしたことに対する、そして壁崩壊後もチラシ配りという貧しい生活をしている主人公に対する、作者の心からの感謝を(=本)彼が万感の思いを込めて受け取った言葉になるんです。

英語とドイツ語は似ているため、この最後の言葉の素晴らしさと奥深さは英語圏の人にも伝わりましたが、どうも日本語だとそこまでは伝わっていないようで、非常に残念です。

映画の題名も『善き人のためのソナタ』となっていますが(本の題名からきている)、ドイツ語に忠実に訳すならば、善き人々「による」ソナタというのが自然。善き人々(複数形=恋人、友人、そして何より秘密警察の主人公)により奏でられた美しいソナタ、という映画に出てくるストーリーそのものをさしています。英語でいうとby(ドイツ語vom)なので「ための」という日本語訳は納得ができませんでした。

それにしても本当に本当に素晴らしい映画。 何度も見て、何度も感動しています。
march
2014/10/12 10:25
marchさん、初めまして。

ドイツ語は全く解りませんが、最後の台詞の真意については解っていたつもりです^^
この部分の和訳は少し硬かったですね。
題名については勉強になりました。
有難うございました。

本当に素晴らしい映画で、新作で9点というのは満点相当なんです。ここ十年でも4〜5本くらいしか付けていないと思います。
オカピー
2014/10/12 21:02

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