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help リーダーに追加 RSS 映画評「萌の朱雀」

<<   作成日時 : 2007/07/12 04:31   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
1997年日本映画 監督・河瀬直美
ネタバレあり

最新作「殯の森」で今年のカンヌ映画祭グランプリ(名前に偽りありで、最高賞ではない)を受賞した河瀬直美が同カメラドール(新人賞)を受賞した作品。10年前に観たが、話題に乗じて再鑑賞することにした。

奈良県西吉野村、林業を営む田原(國村隼)は鉄道のトンネル工事に携わっていたが、計画が白紙撤回されてしまう。行き場を失った彼は村の人々を収めた8ミリカメラを残して自殺、未亡人となった妻(神村泰代)は実家に戻ることを決め、同居する従兄(柴田浩太郎)に淡い恋心を抱く中学生の娘(尾野真千子)を連れて村を出る。残された母(和泉幸子)は大きな家を出て、孫が勤める旅館に住み込みを決意する。

画像

染み入るような西吉野村の美しい風景の中に、過疎化に伴なう家族の崩壊を描いて切ない。従兄妹がオートバイを乗る場面などを観ているうちに不思議な郷愁に誘われる一方で、必ずしも悲観的なことだけではないと思わせる辺りは殊勲であろう。
 全体的に説明不足気味ではあるが、突然挿入される村の人々を捉えた8ミリ映像が自殺した父親のものと判ってくる辺りの構成はなかなか上手い。

屋内外を問わずライトは殆ど使わず、同時録音らしいがそれ故の不明瞭な音声もそのまま残すという極めてドキュメンタリー寄りの演出は、いかにもカンヌ好み。音声が聞き取れず若干お話が掴みにくいところもある。
 しかし、河瀬がこの後作った「火垂」は延々と続けられる手持ちカメラが不快だったのに対し、同じようなセミ・ドキュメンタリーでもこちらは固定カメラを多用していてずっと見やすいのは有難い。

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演技について以前観た時は「自然な演技が印象に残る」とだけ書いて済ましているが、実際には三種類の<演技>が混在している。
 この映画できちんとした演技歴があるのは國村だけで、発声が他の役者と違う。他の家族を演じる新人たちはごく自然体だが、純アマチュアとは一線を画す演技を披露している。そして、一般の村人は恐らくは台本なしの完全ドキュメンタリー。混在により若干居心地の悪さを感じるものの、素人衆には半端な演技をさせないほうが無難と思う。

プロの役者と全くの素人大勢を一緒に演じさせたのが印象に残る最初の作品はロベルト・ロッセリーニ「ストロンボリ」と思うが、イングリッド・バーグマンというスター女優が素人の中で浮いてしまう失敗作だった。同じような<演技>の混在で成功の部類と言えるのは小泉堯史の「阿弥陀堂だより」。もっと広い意味において本作と共通する演出タッチで最も成功したのは「誰も知らない」であろう。

一昨日の「天河伝説殺人事件」に続いて、今週は奈良県吉野郡宣伝週間になりました。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
『萌の朱雀』 〜河瀬ワールドの真骨頂〜
1997年/日本/95分 監督:河瀬直美 脚本:河瀬直美 撮影:田村正毅 編集:掛須秀一 音楽:茂野雅道 出演: 國村隼 ...続きを見る
キネマじゅんぽお
2007/07/14 00:03
<萌の朱雀> 
1997年 日本 95分 監督 河瀬直美 脚本 河瀬直美 撮影 田村正毅 音楽 茂野雅道 出演 田原みちる:尾野真千子    田原栄介:柴田浩太郎    田原泰代:神村泰代    田原幸子:和泉幸子    田原孝三:國村隼    田原栄介(少年時代):向平和文    田原みちる(少女時代):山口沙弥加 ...続きを見る
楽蜻庵別館
2007/07/17 02:40
『萌の朱雀』(1997)河瀬直美監督が最初にヨーロッパで認められた美しい作品。
 『萌の朱雀』は奈良県出身の河瀬直美監督がその名をはじめてヨーロッパ及び日本(なぜか日本では海外で評価されるまではまったく一般に評価されない。)に知らしめた記念すべき作品である。 ...続きを見る
良い映画を褒める会。
2007/08/17 01:30
『につつまれて』(1992)河瀬直美初陣!ドキュメンタリーで始まった映画作家人生。
 カンヌ映画祭でグランプリを取った、河瀬直美監督がその名を始めて世に知らしめた記念すべきデビュー作品がこの『につつまれて』であるが、これはいわゆる劇映画ではなく、ドキュメンタリー映画でした。 ...続きを見る
良い映画を褒める会。
2007/08/17 01:31

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
コメントとTBありがとうございました。
國村隼が何かを覚悟した様子で出かけ,すれ違った村人に深々とお辞儀するところで「オヤ」と思わせ,そのあと警察からの電話のシーンで,言葉足らずに「自殺」を匂わせる。それだけなんですよね。ふつうの映画なら葬式シーンの一つも挟んでしまうところですが・・。
全体に物語的に説明しないので,筋がつかみにくかったですが,突然挿入される8ミリ映像の使い方は,おっしゃるとおり心憎い感じでした。
私個人的には,撮影監督の腕がモノを言ったなという印象なのですが,それを活かしたのは河瀬監督のドキュメンタリーのセンスなのだと思います。
ジューベ
URL
2007/07/14 00:45
私は河瀬作品は「沙羅双樹」をみて、奈良の、妙に郷愁をさそわせるような映像、そのくせ、心には沁みず、頭でみないとよう分からん作品に、「好みじゃないな」と今回の「「殯の森」も公開中ですが見てません。「沙羅双樹」の時にパルムドールを受賞した監督という紹介があったけど、これがその作品だったんですね。海外には受ける映像だなって、私的な偏見を彼女にもったので、この作品にまで手が伸びませんでしたわ。でもP様の文をよんでいると、これはある程度、私がみてもそれなりに胸に響きそうですね。これも食わず嫌い返上でどこかで観ましょう。
シュエット
2007/07/14 08:30
(続き)レンタル作品がたまってるもんで。Jiji姉に教えてもらってサボー監督作品「メフィスト」「コンフィデンス/信頼」レンタルしてもう一度観てから返そうと思っていて、さらに又台風で外出できない時用に昨日もレンタルして…サボー作品どちらも、はまりました。最新作「華麗なる恋の舞台で」をみて舞台での巧みな演出うまいなって思っていたら、「メフィスト」みて納得しました。作品と同じ時代を生きた人だから描ける痛みは凄みがある。こういう凄みのある痛さ、重さは〜好きだなぁ。メフィストはP様推奨のサボー作品だとか。
シュエット
2007/07/14 08:31
ジューベさん、こんにちは。

説明はしないし、言葉は不明瞭だし、見ている最中はよく解らないが、最後まで観ているとそれなりに掴める、という作品でしたね。
絶賛もできないのですが、この手の作品もあって良い。私はもっと練りに練った古典的な構成が好みですが。

河瀬監督も、「誰も知らない」の是枝監督も、ダルデンヌ兄弟もドキュメンタリー出身でどうしても自然さに拘るのですが、逆にそこに不自然さを感じることがあります。ドグマ95もそう。

>撮影監督の腕
そうかもしれません。ライティングが良かったですからね。
「火垂」は2時間40分も手持ちカメラで、イライラしました。手持ちカメラはフレーム意識がないのに、揺れるので逆にカメラの存在を観客に意識させてしまう。自然に拘るなら固定カメラの方が自然なよう気がするのですが、如何でしょう?
オカピー
2007/07/14 14:45
シュエットさん

>頭でみないとよう分からん
「沙羅双樹」は見ていないので解りませんが、河瀬女史にはそういう傾向があるかもしれません。
私にしても☆☆☆なのでお奨めというほどではなく、「沙羅双樹」と似た面もあるかもしれません。結局彼女は奈良から出ないんですよね。凄く私小説タイプの作品が多い。後は好き嫌い。

>サボー
viva jiji姐さんからの情報ですか?(笑)。

昔から信頼している監督で、「コンフィデンス/信頼」も良かった。
「メフィスト」はさらに重量級の凄い映画で、80年代の欧州映画を代表する秀作ですね。
映画を作るモチーフを常にハンガリーを蹂躙したナチスに求めている作家。それだけナチスが欧州に残した爪痕は深いということですね。「太陽の雫」は些か駆け足的ではありますが、ちょっとしたハンガリー史になっていてこちらにも感銘しました。
オカピー
2007/07/14 17:36
>オカピーさん、こんにちは。
リアリズムのセオリーもどんどん発展しているんでしょうね。ロッセリーニとバーグマン夫婦は、失敗作ではあったかもしれませんが、プロとティパージュの混在の先駆作品だったかもしれません。映画史をたどれば、ティパージュを位置づけたエイゼンシュテインを批判して職業俳優を使ったプドフキンまでさかのぼるのでしょうか?
河瀬直美さんの作品は未見ですが、こういう優れた発想での作品が生まれる日本の若手作家は応援していくべきと思います。日本の作家も棄てたものじゃありませんね。
あと思い出されるのは、羽仁進の「不良少年」や今村昌平のドキュメンタリーなどなど・・・。
映画手法の発展、今後も注視していくべきでしょうね。
では、また。
トム(Tom5k)
URL
2007/07/21 15:46
トムさん、こんばんは。

私は、トムさんと違って映画の勉強は殆ど映画本体に限られるので、かなり適当なことを言っていますが、私の観た中では「ストロンボリ」より前に明確にプロとアマチュアを演技させ合ったのは作品の記憶はないですね。所謂エキストラは問題外です(笑)。

ロッセリーニはバーグマンの資質を生かしきれずに終って、一般ドラマも芳しくなかったですよね。

日本の河瀬や是枝、ダルデンヌ兄弟、ドグマ95の連中はほぼ同じグループに入れても良いかと思います。
いつの時代にもリアリズム指向はありましたね。戦後アメリカのセミ・ドキュメンタリー、所謂ニューシネマ、イタリアのネオ・レアリスモ、フランスのヌーヴェルヴァーグ等々。その対極にあるハリウッド型も、昔は嫌いではなかった。今はハリウッドが始まって以来最悪の状態ではないでしょうか。そちらの傾向は無国籍状態になりつつあり、益々まずいですよね。映像を観てもどこの国の映画かよく解らない。昔ならすぐに解りましたよ、ああ、これはイタリア映画だなって。

両輪あって映画文化は充実すると思っているので、これは不幸なことですね。
オカピー
2007/07/22 02:44
>オカピーさん、昨日この作品ビデオ鑑賞いたしました。確かに傑作ですね。見事といえば見事です。テーマも手法もしっかりされているように思います。しかも邦画の歴史のなかでも自然な流れのなかに位置しているように思いました。
しかし、オカピーさんの6点にも納得できてしまいます。
作り手の孤独というか、社会矛盾との闘いというか、そういうエネルギーに不足を感じてしまいます。真の芸術家であるならば、もっと泥まみれになって、何かと闘う姿勢を貫いてほしい。
そんな印象です。
恐らくこの方はご自身の才能を充分にわかっていて、そこを自己主張されているのではないかな?
鋭い芸術家の感性で、自分しか気づいているものがなく、それを社会に向けて発信していくたくましさに不足を感じます。せっかくの完璧ともいえる手法をお持ちのようなので惜しいような気持ちを持ってしまいました。
ロッセリーニ&バーグマンは、失敗だったかもしれませんが、二人の果敢な挑戦だったと思います。河瀬監督も失敗を恐れず果敢な挑戦を模索して欲しいですね。
誤った解釈だったかな?
トム(Tom5k)
URL
2007/07/26 03:11
続き
>いつの時代にもリアリズム・・・
やはり、作り手から観客に対する同化・還元を目指すなら現実を基本に表現することになるのでしょうね。
手法の問題ですが、今の時代としては、オカピーさんのおしゃっている「カンヌ好み」というところに尽きるのでしょうね。
つまり類型が硬直してきているんですよ。
従来の類型や体系を突き破って、観る側にセンセーションを生じさせるもの、それこそ映画の歴史だったのではないでしょうか?
そういう激しいエネルギーによるものによって、真の意味での「癒し」を得て、かつ生活実感に立ち返ることが可能なもの。リアリズム手法はそのために目指されていたものだったはずです。
素晴らしい才能に出会ったが故、逆に、不足感に割り切れないものを感じています。
では、また。
トム(Tom5k)
URL
2007/07/26 03:27
トムさん、こんばんは。

>エネルギーに不足を感じて
娯楽映画ではテクニックが重視されるのに対し、後者では作者自身が見えること、そのエネルギーが感じられることが重要でしょうね。
本作に限って言えば、何故この内容をこの手法で描く必要があったのか、という説明がインパクトをもって聞こえてこなかった。勿論トムさんの仰るリアリズムの求められる理由はよく解っておりますが。
具体的には音声の不明瞭、些かの説明不足、演技の混在による違和感などですね。

>類型が硬直
ニューシネマの頃までに映画の手法はほぼ出尽くした感があります。
「パルプ・フィクション」も「マトリックス」も新しい映画とは思わなかったし、「シックス・センス」は嘘を信じ込ませる映画版「アクロイド殺し」。いずれも強い影響を後世に残していますが、私にはそれほどのインパクトもなかったわけで、そういう意味では本当にセンセーションを覚えた作品は90年代以降少なくなっています。難しい時だけに真にセンセーショナルな作品を作れれば、逆に凄いことになるでしょうね。諦めつつ期待しているところです。
オカピー
2007/07/26 22:19

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