|
☆☆☆☆(8点/10点満点中) 2003年アフガニスタン=アイルランド=日本映画 監督セディク・バルマク ネタバレあり 2001年9月11日の所謂全米テロが結果的にアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた。この作品が見られるのも、女性の就業やあらゆる享楽的生活を禁じたタリバン政権崩壊のおかげだが、タリバンに対する義憤による震えはおし留めることが出来ないほど激しい。 タリバンは女性の就業はおろか単独での外出も認めなかったというが、戦争で男手を失った家庭のことを考えたことがあるのだろうか。イスラム原理主義だが何だか知らないが、国民の食べる道を閉ざす政権はその段階で失格である。 モハメッドも彼らの愚かさに草葉の影で「私の教えを曲解している」と歎いていることであろうが、それはともかく、映画が取り上げた一家はそうした家庭である。 少女(マリナ・ゴルバハーリ)は母と祖母の指示により髪を切って男装し、死んだ父親の知人であるミルク屋の手伝いをする。給金は西瓜などの現物支給である。しかし運悪くタリバンが街の男子を全員宗教学校に召集したことから、彼女は神を冒涜した罪で裁かれることになり、命は救われたものの老師の4番目の妻に迎えられることになってしまう。 少女の縄跳びのショットが変則的に挿入される以外は、アフガン人監督セディク・バルマクの演出は至って素朴だが、印象的なショットやエピソードが幾つかある。 少女が切られた髪を鉢植えにさして点滴で水を滴らせているショットは少女の気持ちをよく伝えてくれ胸に迫るものがあるし、懸命に男だと庇ってくれたお香屋の少年(モハマド・アリーフ・ヘラーティ)の、月のものにより完全に少女とばれても「男だ」と言い続ける時の顔は忘れがたい。恐らく素人なのだろうが、実に見事な演技だ。勿論主人公である少女も素人だが素晴らしい。 女性の前に広がる無限の闇に観客も呆然とせざるを得ないところで映画は終了する。 映画の出来栄えと関係ない話で恐縮だが、イスラム系テロリストの怒りはキリスト教文明と自らの境遇の落差に向けられている。勿論米国を始め西洋諸国にも反省すべき点は幾つもあるが、その一方で、彼らが西洋に追いつこうとするなら女性の解放なくして為し得ないであろう。女性は文明の担い手である。テロリストたちが基本としている原理主義は逆行行為、つまりは<逆恨み>とみなされても仕方があるまい。 |
| << 前記事(2006/07/13) | トップへ | 後記事(2006/07/15)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2006/07/13) | トップへ | 後記事(2006/07/15)>> |